不可能と言われたリンゴの無農薬栽培を成功させた農家・木村秋則の現在は?
リンゴの無農薬栽培の裏には
壮絶な極貧人生があった?
映画化されたベストセラー本
「奇跡のリンゴ」の知られざるその後の話!
がん判明…さらにリンゴが病で最大の危機とは?
スポンサーリンク
木村明則,極貧だった経歴や生い立ちとは?
世界で初めて無農薬・無施肥の
リンゴ栽培に成功した日本の農家
木村秋則(きむら あきのり)さんが
12月21日放送の『爆報!THE フライデー』
に出演されます。
2013年には阿部サダヲさん、菅野美穂さん主演で
映画化もされ、一躍時の人になった
木村明則さんが現在はがんといわれています。
まずは、木村明則さんの経歴から
確認していきましょう。
生年月日:1949年11月8日
年齢:69歳
出身地:青森県弘前市(旧・中津軽郡岩木町)
学歴:青森県立弘前実業高等学校
職業:農業
著名な実績:世界初の無農薬・無施肥リンゴの栽培に成功
妻(嫁):木村美千子
公式サイト:http://www.akinori-kimura.com/
引用:Wikipedia
木村明則さんは、青森県岩木町(現弘前市)に
三上家の次男として生まれました。
地元の青森県立弘前実業高等学校商業科を
卒業した後、上京し、社会人に。
就職先は、トキコ(現日立オートモティブシステムズ)で
原価管理課に配属されました。
22歳の時に故郷青森に戻り、
りんご栽培を中心とした農業を始めます。
結婚したのも22歳の時で
結婚相手は、リンゴ農家の娘だった
木村美千子さん。
つまり木村家に婿養子として入ったのです。
農家の後継ぎ問題ではよく聞きますよね。
木村明則さんといえば、
無農薬のリンゴ栽培が有名ですが
きっかけは嫁の美千子さんだったようです。
嫁の美千子さんは農薬に過剰反応し
体を壊してしまったようで、
無農薬のリンゴ栽培を考え出したのです。
最初に取り掛かったのは
農薬をまく回数を減らす減農栽培。
年10回以上していた農薬散布を
まずは年5回に
翌年には3回、翌年に1回というふうに
徐々に減らしていくのですが、
成功に至るまでの約10年間の経緯は大変困難で
また、当時、無農薬栽培は不可能と言われており
木村明則さんもかなりご苦労をされたようです。
≪極貧エピソード:害虫≫
無農薬にしてからは大量の害虫が発生し、
8年間、花も実もつけなくなりました。
しかし、妻の体への負担を考えると
農薬ありきの栽培に戻すことも出来ず
大量の害虫を手で取ったり
地道な作業を繰り返したようです。
≪極貧エピソード:語りかけ≫
にわかに信じがたいエピソードではありますが、
木村明則さんはリンゴによく話しかけたようです。
とポジティブな語りかけを行うことを
始めました。
こういう非科学的なことは、
比較対象がないと成果が分かりづらいですが
実際には、隣の敷地に面した
リンゴの木は枯れたようです。
その理由は、話しかけている様子を
隣人に聞かれることを恥ずかしいと思ったため
隣の農家に面したリンゴたちには
話しかけを行わなかったようです。
しかし、私はこのアイデアは実践体験者です。
我が家はリンゴではなく、
花を育てていますが、水を与えるときに
いつも話しかけています。
お陰様で、5年以上育てていますが、
枯れずに元気の育っていることは
もちろんのこと、いまは株も増えて、
今年も(現在も)綺麗な花を咲かせて
このクリスマスシーズンを
楽しませてくれます。
≪極貧エピソード:妻(嫁)美千子さんが病に倒れる≫
長年苦労を共にしてきた妻(嫁)美千子さんが
2010年病に倒れました。
ちょうど同じ頃木村明則さん自身も
がん宣告をされています。
スポンサーリンク
木村明則,現在はがん消えた?
リンゴ無農薬栽培に取り組んだのは
1978年から。
それからおよそ10年間は無収入状態だったといいます。
夫婦の家計を支えたのは、
自給のために育てた他の作物での無農薬・無施肥栽培。
リンゴ以外の栽培においては
良好な成果をあげていたため、
それを励みに木村明則さん夫婦は
少しずつりんごの栽培方法を改良していったようです。に
そんな中、木村明則さんが体調不良に気付いたのは
2015年末頃。
しかし、すぐに病院には行けなかったのか
病名を胃がんを診断されたのは
およそ1年後の2016年10月です。
すぐにがん摘出手術を行い、
胃の3分の2を摘出したそうです。
(一部情報では、全摘とも言われています。)
木村秋則さんのがん闘病関しては、
2017年10月の『自然栽培(vol.12)』で明かされています。
毎晩、寝るときにお腹の傷跡をさすりながら、「きょうもありがとう。元気で、畑仕事ができました」と御礼を言っています。
リンゴの樹に話しかけているのと同じで、言霊による治癒力を期待しているわけです。
全く無頓着だった自分の体を見つめ、再発するのではないかという恐怖と闘いながら
「なんとか寛解までもっていきたい」と強く願う自分がいます。
引用:『自然栽培(vol.12)』
寛解という言葉が出るほど、
がんの病状は悪くはないと考えられます。
言霊のパワーなのでしょうか。
スポンサーリンク
宇宙人や龍の予言が奇跡のリンゴ?
木村明則さんを調べていくと、
・宇宙人
・龍
・予言
などヒーリング的な、宇宙的な
ワードがたくさん散見されます。
宇宙のパワーを吸収できる
凄い人なのでしょうか。
≪宇宙人≫
木村明則さんは
『すべては宇宙の采配』という著書を出版しています。
引用:Amazon
宇宙の使者?である龍との不思議体験を多く
経験しているので、ご紹介していきます。
≪龍≫
木村明則さんは高校2年生の時、
初めて龍と遭遇したようです。
するとそこに巨大なワニの親分みたいな顔が、林の上から出現。
中年男性は動けないまま。
時間が止まっているのだと気付いた木村明則さんは
ようやく冷静にされた。
目の前にいるのはワニではなく龍。
その後、空に向かって飛んでいく龍を
見送った木村明則さんが、ふと我に返ると
中年男性は何事もなかったように歩き始めた。
まるで漫画のようなお話ですが、
その時に出会った龍から、
木村明則さんは、メッセージを
受け取ったようですが
その内容を木村明則さんは秘密にしています。
誰にも話すなと口止めされたようです。
初めて龍に遭遇したのが高校2年生で
そこから30年ほど経っていると
語られていますので、47歳頃ですね。
同行者と共に空を飛んでいる龍に遭遇。
龍が通り過ぎた雲の間には、
ぼんやりと虹も出現。
龍が飛んで行った方向は
現地のアイヌ人に「神聖なる山」と言われている
山の手前。
旅行の同行者の8人全員が見たというので
信憑性は格段に増しますが、
記録に残そうと慌ててカメラを構えても
龍をきちんと写真に収めることが出来た人はおらず、
代わりに写真に写っていたのは、
黒いバックに光の縞が斜めに入った写真だったそうです。
これは龍からの何か予言なのでしょうか?
龍から受け取ったメッセージを
木村明則さんが公表していないため、
私たちには分かりませんが、
極貧生活を送っていた時は、
無収入で借金生活をしていた木村明則さん。
極限まで極貧生活を経験してから
何か悟りのようなものが開けたのでしょうか。
10年間とも言われる極貧生活時代には、
無意識に首をくくるためのロープを
編んでいたこともあったようです。
精神的にも体力的にも限界も迎えていた
木村秋則さんだからこそ分かる龍や宇宙人から
の予言があるのかもしれません。
ロープ編みの続きのエピソードもあり、
実はそのことが『奇跡のリンゴ』のヒントに
なっているのです。
編み終わったロープを持って、
首をくくる場所を探して歩きまわっていた
山の中で、『どんぐりの木』に遭遇。
この野生の木のどんぐりから
栽培に関するヒントを得て、
土づくりなどを研究した結果、
リンゴは元気になっていき
実を付けるようになったのだそうです。
苦労して作った『奇跡のリンゴ』についても
番組では語られると思います。
12月21日放送の『爆報!THE フライデー』が
楽しみです。
最後までお読みいただき有難うございます。
スポンサーリンク