『あぶなしあぶない』
逆探知機の存在を常に恐れ、時効ギリギリまで警察をかく乱させ逃げ回った福田和子。
整形を繰り返し、何度も逮捕寸前を逃れてきました。
整形逃亡して5459日。
福田和子逮捕のきっかけになったのは、和菓子屋松栄堂でした。
和菓子屋松栄堂の現在は閉店?
結婚した旦那が逮捕に協力した?
長男息子と松井秀喜は顔見知り?
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目次
福田和子を通報した和菓子屋松栄堂の現在!
福田和子は57歳で服役中に倒れた
福田和子元受刑者を知っていますか?
ホステスとして働いていた過去を持ち、同僚の女性を殺めた罪で逮捕状が出されます。
当時32歳。
松山で働いていました。
そこから23年。無期懲役で服役していた福田和子は、2005年3月10日に亡くなりました。
受刑者として刑務所内で作業をしていた中、くも膜下出血で倒れたのです。
享年57歳。死因脳梗塞。
若すぎる死ですが、福田和子は約15年もの間、警察の目をかいくぐって逃亡生活を送っていました。
苦労を重ねた結果の死だったのでしょうか。
福田和子は和菓子屋の旦那と内縁関係
ホステスをしていた福田和子なので、魅力的な雰囲気をまとっていたのでしょう。
事件を起こした愛媛県松山市から遠く離れた石川県能美郡根上町(現:能美市)のスナックで働いていました。
その店の客だった男性と恋仲になり、やがて一緒に暮らし始めます。
男性には結婚歴がありました。
男性は、和菓子屋『松栄堂』の若旦那でした。
やがて福田和子はスナックを辞め、男性の和菓子屋を手伝うようになります。
客商売は慣れていた福田和子なので、お客さんからの評判も上々。
次第にお店の看板のような存在になっていきます。
男性とは結婚していなかったものの、男性は同棲を始めた頃から結婚を意識していました。
いつか福田和子を妻として迎え、もっと店を繁盛させたいそう思っていたようです。
しかし何度プロポーズしても福田和子は首を縦に振ることはありませんでした。
離婚歴のある男性の過去が気になったのでしょうか?
いや、そうではなく、素性を隠した逃亡犯だったため、本名や生い立ちなどがバレることを恐れたのです。
当時。福田和子は、小野寺華世という偽名を使っていました。
和菓子屋の若旦那と結婚するとなれば、後妻とはいえ結婚式なども予定されるでしょうし、当人同士だけではなく、家族や親せきも招かれることになったでしょう。
福田和子にはそんな幸せな結婚生活は思い描けなかったです。
福田和子が潜伏した和菓子屋松栄堂の現在!
和菓子屋松栄堂の若旦那の年齢は詳しく分かりませんが、福田和子とほぼ同年代だと考えられます。
福田和子は、1948年1月2日生まれなので、存命であれば、75歳になります。
和菓子屋松栄堂の現在が気になりますよね。
実は2018年7月に、和菓子屋松栄堂は閉店しています。
今から5年前、福田和子が和菓子屋の看板娘だった当時は若旦那だった男性もおそらく70代でしょう。
閉店理由が年齢のせいか、他に理由があるのかは不明ですが、長く続いた店はひっそりと幕を下ろしたのです。
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松井秀喜と息子の関係は?
福田和子は4人の子供の母親
福田和子は1968年、20歳の頃に結婚します。
5年間の結婚生活で2人の子供(息子と娘)をもうけますが、その後離婚。
翌年に再婚し、当時の旦那との間にも2人の子供をもうけます。
この時も息子と娘なので、福田和子には4人の子供がいます。
松井秀喜と息子の関係は?
福田和子と検索すると、なぜか『松井秀喜』というキーワードが現れます。
松井秀喜さんは、石川県出身。
子供の頃、実家近くの和菓子屋松栄堂で和菓子を購入していたようです。
この和菓子屋の看板娘として約5年間潜伏していました。
当然、子供たちが暮らす松山からは着の身着のままで逃亡しています。
犯行は残忍ですが、子供にとっては良き母だった福田和子。
逃亡中も子供のことは常に頭にあったようです。
和菓子屋松栄堂で内縁の妻として働いていたときも、実は息子を松山から呼び寄せています。
当然『自分の子供』としてではなく、『親戚の子供』を預かるというかたちをとりました。
愛する子供をやがては4人全員呼び寄せて、若旦那とも再婚し幸せな人生を思い描ていたのかもしれません。
松井秀喜さんと福田和子の息子が面識があるのかは不明です。
しかし、松井秀喜さんは、当時の福田和子のことは覚えていたようです。
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