終戦を知らず28年間ジャングル生活をしていた日本兵 横井庄一の現在は?
帰国後の壮絶人生を嫁が『爆報!THE フライデー』に激白!
太平洋戦争が終結して28年目に、グアム島のジャングルで発見された残留日本兵、横井庄一さん。
よく年配の方が椅子に腰掛ける時に「ヨッコイショーイチ」なんておっしゃっているのを聞いたことがありませんか?
今回はその語源となった横井庄一さんについて調べてみました!
たった一人で潜伏生活。帰国後の壮絶人生。心無いバッシング・・・
横井庄一さんの嫁や子供など調べてみましたので、ぜひご覧下さい!
横井庄一 、結婚した嫁や子供は?恥ずかしながら帰国後の名言や現在の生活や仲間について!
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横井庄一 結婚した嫁や子供は?
横井庄一経歴
引用:Wikipedia
生年月日:1915年3月31日
死没日:1997年9月22日
年齢:82歳没
出身地:愛知県海部郡佐織村(現:愛西市)
所属組織:大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
活動経歴:1935年 – 1939年 第一補充兵役
1942年 – 1945年 再召集(1972年まで戦闘継続)
最終階級:陸軍軍曹
除隊後:評論家
引用:Wikipedia
横井庄一 、結婚した嫁画像や馴れ初め、子供は?
横井庄一さんは、1972年57才の時に日本へ帰国し、
その年に幡新美保子さんと結婚しました。
横井庄一さんが57才、美保子さんが44才の時で13才の年の差婚でした。
結婚(新婚当時)した横井庄一さんと妻美保子さん(1972年撮影)
引用:朝日新聞
ちなみに、2人は、お見合いで出会いました。
お見合いした時、横井庄一さんは、
とひねくれていたそうです。
理由は、有名人となった横井庄一さんを一目見たいために、
ひやかしのようなお見合い希望の女性が多数いたからです。
それを聞いた美保子さんは
と怒ったそうです。
すると横井庄一さんは
と言い、その後トントン拍子に結婚が決まったそうです。
当時、時の人だった横井さんを皆腫れ物のように扱い、
怒ってくれる人はいなかったのかも知れません。
また、2人の間に子供さんはいらっしゃいません。
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『恥ずかしながら』帰国後の名言や現在の生活や仲間について!
20歳で招集
横井庄一さんは、旧制小学校卒業後に約5年間、愛知県豊橋市の洋品店に勤務しました。
そして、1935年満20歳になったため徴兵検査を受け第一補充兵役(補充兵)に召集されます。
帝国陸軍に入営後4年間、軍務についた後に洋服の仕立て屋を開きました。
1941年に太平洋戦争勃発と同時に再召集されます。
1944年からは、グアム島に配属、同年7月のグアムの戦いにより戦死したとされます。
しかし、実際は横井庄一さんは 戦 死 しておらず、山中に潜伏しゲリラ戦を行っていました。
1945年には、ポツダム宣言受諾による日本軍の無条件降伏を知らされず、
以来28年間、横井庄一さんはジャングルの中の地下壕などで生活していました。
そして、28年後に現地の住民に偶然発見され1972年2月2日、日本に帰国しました。
横井庄一さんは満57才になっていました。
その際、横井庄一さんは
と発言し、この言葉をとらえて
「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となりました。
その後、横井さんは戦後の日本の変化に適応できるか心配されましたが、
周囲が驚くほど見事に戦後日本の生活に馴染みました。
さらに、幡新美保子さんと結婚し、生活評論家として全国各地で講演を行いました。
しかし、ヘルニアや胃がんなどの病気がちとなり、1997年心臓発作を起こし82歳で死去されました。
まとめ
横井庄一さんは、28年間グアム島のジャングルで終戦を知らず戦いました。
帰国し、57歳のときに幡新美保子さんと結婚しました。
2人に子供はいません。
また、1997年に横井庄一さんは、亡くなりました。
壮絶な人生だった横井庄一さん。
現在91歳の美保子夫人は、横井庄一さんの
『資料館のようなものをつくってほしい』『みなさんの善意をお返ししたい』という遺言を守り
自宅の一部を夫横井庄一さんが作った陶芸作品を公開しているそうです。
横井庄一さんが亡くなって20年以上になりますが
お二人は心で繋がっているのですね。
改めて横井庄一さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございます。
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