【福田和子の壮絶人生、生い立ちが悲惨すぎた。。】
8/2放送の『直撃!シンソウ坂上』で、福田和子事件が
ドラマ化されます。
福田和子役を演じたのは、女優佐藤仁美さん。
『あぶないあぶない』と何度も逮捕の危機を乗り越えた
「7つの顔を持つ女」(逃亡しながら整形を繰り返した)
福田和子は、一体どんな生い立ちで、どのような人生を送ったのでしょうか。
愛情欠乏ゆえの殺人だった?
幼少期の壮絶な生い立ちから、松山市ホステス殺人事件を起こし
時効間際の15年弱、整形を繰り返しながら逃走劇を繰り広げ
最期は悲しい死因だった福田和子。
改めてその人物を紐解きます。
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目次
福田和子,生い立ちが悲惨
明日放送!フジ系8/2(木)21:00~21:54「シンソウ坂上 『母・福田和子』」 新証による初公開の秘話をドラマ化。何度も映像化されていますが、かつてない福田和子像を描きました
。ぜひ!出演:佐藤仁美 森永悠希 水橋研二 秋月三佳 渡辺江里子( 阿佐ヶ谷姉妹) 三溝浩二ほか ナレーター土屋佑壱。 pic.twitter.com/c7MfHTH37s— 松木創 Matsuki Tsukuru (@geneiza) 2018年8月1日
引用:Twitter
8/2放送の『直撃!シンソウ坂上』で、福田和子が特集されます。
逮捕されたのは、1997年7月29日。
もう21年前のことなのですが、
私は鮮明にそのときの記憶が残っています。
街には、指名手配のポスターは貼られ、
およそ15年もの間、雲隠れするわけでもなく
堂々と一人の『女』として
生活をした福田和子。
魔性の女のイメージが強い福田和子ですが、
実は4人の子供を持つ母親でもありました。
福田和子はどのような生い立ちで
どのように人生を終えたのでしょうか。
改めて振り返りたいと思います。
愛媛県松山市
現況 服役中に病死
死没 2005年3月10日(57歳没)
和歌山県和歌山市
死因 くも膜下出血
職業 ホステスなど
罪名 殺人罪
刑罰 無期懲役
有罪判決 1999年5月31日(松山地裁)
福田 和子元受刑者は、
1948年(昭和23年)愛媛県松山市に生まれます。。
幼少期に両親が離婚、母親に引き取られましたが
母親は自宅(愛媛県川之江市(現:四国中央市))で
売〇宿を経営していました。
ほどなくして母親は漁師と再婚し
再婚をきっかけに、再婚相手の住まいのある
来島に移ります。
島での生活は、福田和子と母親にとっては
窮屈なものでありました。
排他性に耐え切れず母子で今治市に移り、
また母子2人の生活がスタートします。
生活は決して裕福ではなかったと思われますが
福田和子は愛媛県内の高校に入学。
しかし、おそらく母親が無理して入れた高校も
高校3年生の1学期で退学してしまいます。
素行が悪かったとか、
勉強がついていけなかったなどの理由ではなく、
当時交際していた同級生の男子生徒が事故死し、
自暴自棄になったようです。
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初犯は18歳、刑務所内で壮絶な生活を強いられた受刑者だった
高校を中退した福田和子元受刑者ですが、
恋愛体質、もしくは男性依存なのか
すぐに新たな彼氏が出来たようです。
この頃には、既に母親と生活していた家を出て
彼氏と同棲生活を送っていたと言われています。
しかし、二人はお金がなかったのか、
この彼氏と共に、
高松市の国税局長の家に強盗に入った罪で
逮捕されています。(当時18歳)
若気の至りだったのか、犯罪を起こしてしまった
福田和子の悲劇は、ここでも起こります。
松山刑務所に服役中だった1966年(福田和子当時18歳)、
第1次松山抗争で逮捕された郷田会の関係者が看守を買収
女性受刑者を暴行するという松山刑務所事件が起き、
福田和子はこの事件で暴行被害者となったのです。
このあと移送された高松刑務所でも同様の被害に遭っていますが
時代背景のせいなのでしょうか。
被害届を出すこと自体認められなかったため、
公訴時効により事件の責任追及は行われませんでした。
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愛に飢えた女は息子だけが生きがいだった!
出所後、福田和子が選んだ職業は、
キャバレーのホステスでした。
生まれ育った松山市で売れないホステスとして働いていました。
1982年、同じお店で働くNO.1ホステス(当時31歳)に
嫉妬して、首を絞めて殺害したのです。
愛嬌があり、美人だった被害者に、
自分の客を取られたことによる恨みだったと言われています。
驚くのは、この時の福田和子には、
家族がいたこと。
結婚している夫と子供は4人(息子2人娘2人)いたようです。
ホステスとして働きながら、
4人の子供たちを育てていたのでしょう。
同僚であった被害者の遺棄を
福田和子の夫も手伝った疑い(死体遺棄)
で逮捕されています。
遺棄が終わってから迎えた朝、
『ママはしばらく遠いところに行く』
と言い残し、それから15年もの間、
全国各地を転々としながら逃亡生活を迎えるのです。
では、なぜ福田和子は自首しなかったのでしょうか。
それは、18歳の時に収監された刑務所で
暴行された嫌な記憶が拭えなかったからです。
一度ならず二度まで暴行されたことが
トラウマになり、どうしても捕まりたくなかった
と言われています。
逃亡中は10以上の偽名を使ったり、
美容整形を繰り返したりするなどして
全国のキャバレーを転々とする生活をしています。
ホテルの客室清掃員、ホステス、
そして和菓子屋の女将など、
福田和子元受刑者は、名前を変えて、顔を変えて
『あぶない、あぶない』と
身の危険を感じたら、次の場所へと
転々としながら生活していました。
逃亡生活15年の間、福田和子の傍には
常に『男』がいたようです。
34歳の時から49歳の間、逃亡生活を続けていますので
『女』一人でいるより、カップル然としていた方が
周囲にうまく溶け込めるという判断もあったようです。
もちろんその交際していた男性たちには、
結婚を前提にと、言い寄られていたようですが、
結婚するには、戸籍謄本を取り寄せたり、
また本名や素性を明かす必要があります。
日常生活を送る中で、
交番や警察署の前を通れば、
自分の手配写真が貼られているのを
目にすることもあり、
いつバレるのだろうと
びくびくしながら生活していたとも言われています。
そんな中、警察の捜査が間近に迫っていることを感じたり
また交際相手や、近所の人に『福田和子』だと
気付かれそうになれば
着の身着のままで次の新天地に向かう生活。
おそらく、福田和子元受刑者は、
交際していた誰とも本気で心を通わせることは
なかったのではないでしょうか。
福田和子が最も愛した男は、
息子であると言われています。
4人いた子供の中には娘もいましたが
とりわけ息子は溺愛していたと言われています。
息子は、福田和子が逃亡中に働いていた和菓子屋にも
呼び寄せられ、毎日息子の顔を見れる喜びを
感じていたと言われています。
息子もそんな母親を、逮捕されて
亡くなった(2005年2月に刑務所内の工場の作業中に、
くも膜下出血のため緊急入院。意識の回復のないまま3月10日、
入院先の和歌山市内の病院にて死去。57歳没。)
いまでも母親としての福田和子を大切に思っているといいます。
2人だけしか分からない愛が
そこにあるのではないでしょうか。
2005年3月10日にくも膜下出血が死因で
亡くなってから13年。
時間が経過しても、再現ドラマが放送されるほど
強烈な記憶として残っている
『魔性の女』『七つの顔を持つ女』は
佐藤仁美さん主演でどう描かれるのでしょうか。
今夜の8/2放送の『直撃!シンソウ坂上』が楽しみです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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