韓国女優の崔銀姫(チェ・ウンヒ)さんが16日、死去したと崔さんの長男で映画監督の
シン・ジョンギュンさんが発表。91歳。死因は持病でした。
1978年に北朝鮮に拉致され、その後に脱出したことで知られる崔銀姫さんは
どんな人だったのでしょうか。拉致された理由とは?
旦那の映画監督の申相玉(シン・サンオク)とは結婚し離婚したって本当なの?
若い頃の顔画像や作品など全力で調べてみました。
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崔銀姫(チェ・ウンヒ)が北朝鮮に拉致された理由は?
韓国で知らない人はいない女優、崔銀姫(チェ・ウンヒ)さんが16日午後、亡くなりました。
享年91歳。
『映画よりも映画のような人生を送った韓国の女優』
と言われている崔銀姫(チェ・ウンヒ)さん
一体どのような女性だったのでしょうか?
【崔銀姫(チェ・ウンヒ)プロフィール】
1926年に京畿道広州生まれ。
1942年に演劇「青春劇場」でデビュー。(当時16歳頃)
1953年にドキュメンタリー映画「コリア」(原題)に出演し
申相玉(シン・サンオク)監督と出会う。(当時27歳頃)
1954年に結婚。その後2男2女をもうける(当時28歳頃)
1976年に離婚(当時49歳頃)
10代で女優としてデビューした崔銀姫(チェ・ウンヒ)さん、数多くの作品に出演し
人気女優としての地位を不動のものに。
27歳でドキュメンタリー映画「コリア」で夫となる申相玉(シン・サンオク)監督と出会います。
エンターテイメントの中核をなしてきた二人は
映画で出会い、そこで恋に落ち、夫婦で共に当時の韓国映画界をリードしてきました。
引用:http://www.wowkorea.jp/news/enter/2008/0321/10042239.html
しかし、1976年に申相玉(シン・サンオク)監督とは離婚。
離婚理由は不明ですが、よくある多忙同士のすれ違いなのではないでしょうか。
崔さんは1978年1月に単独で向かった香港で
北朝鮮の工作員に拉致されています。
離婚から2年経ったときの突然の出来事。
離婚後も二人の関係は良好だったのか、申(シン)監督は崔さんを探し続けます。
申(シン)監督も同年7月に北に拉致
1983年に北朝鮮で再会しています(当時崔さん56歳)
一番の関心は、どうして北朝鮮に拉致されたのか?
拉致は故金正日(キム・ジョンイル)総書記の指示でした。
後に、崔さんは語っているのですが、
故金正日(キム・ジョンイル)総書記は非常に映画が大好きであったと。
二人の拉致に関して、故金正日(キム・ジョンイル)総書記が語った肉声音声もありました。
その中で
「私が2人を我々の方へ渡ってくるようにせよと指示した」
「我々も葬式のようにいつも泣いている映画ではなく、
国際的映画祭に出て行くほどの映画をつくらなければならないのではないか」
当時の北朝鮮の映画は哲学的なものばかりでした。
しかし、その閉ざされた世界の中では窮屈に思ったのか、
韓国の人気女優崔銀姫(チェ・ウンヒ)さんとその夫であった申相玉(シン・サンオク)監督を
北朝鮮に迎え、二人にたくさんの映画を作らせました。
引用:http://www.screendaily.com/
映画の内容には、厳しい制限があったといいます。
それはどこにへも逃げられない監視下の元、拷問と投獄で逃げられないと分からせるもの。
2人の愛は再熱していきます。
逃げられないと悟った二人は
金正日(キム・ジョンイル)総書記の信頼を獲得すべく努力します。
その努力が実り、北朝鮮で映画撮影所の責任者を任されるまでに。
「帰ってこない密使」(原題・1984年)、
「愛、愛、私の愛」(原題・1984年)など、17編の映画を製作。
また崔さんは北朝鮮で作った映画「塩」(原題)で1985年のモスクワ映画祭の主演女優賞を受賞しています。
これは韓国人が海外の映画祭で受賞した初めての快挙のようです。
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旦那は申相玉(シン・サンオク)で北で再会再婚
婚姻関係時、夫婦であったときには4人の子供をもうけ、
映画監督と女優として、エンタメ業界をけん引し地位も名誉も獲得し大成功を収めた二人。
離婚理由が気になりますが、この点は明らかになっていません。
ただ、崔さんが北朝鮮に拉致された時も申監督は懸命に行方を捜したといいます。
結局二人とも北朝鮮に拉致されるのですが、
当時の北朝鮮は『自発的亡命』と発表、拉致を否定しています。
有名人夫婦の突然の国外逃亡に韓国国民は騒然となりましたが、
申(シン)監督が北朝鮮で“申フィルム”映画撮影所総長を引き受けながら
『帰らざる密使』、『プルガサリ』などの製作に携わったため、
自発的亡命説は一般に信じられていました。
【参考:ドキュメンタリー映画『The Lovers And The Despot』(恋人と独裁者)(2016・アメリカ)】
引用:YouTube
(映画内容訳:魅力的なロマンスが崩壊した後、有名な監督と女優が映画監督の金正日(キム・ジョンイル)独裁者に誘拐された。世界で一番奇妙な状態の映画を作ることを余儀なくされたが、彼らは二度目の愛でチャンスを得るが、一度だけ脱出するチャンスがある。)
【参考:プルガサリ(1985)】
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引用:YouTube
(映画内容訳:悪名高い北朝鮮のカイジュウ映画「Pulgasari」のための日本の予告編。金正日(キム・ジョンイル)監督が拉致された韓国の映画監督を指揮して、鉄を食べて巨大な大きさに成長し、無慈悲な皇帝に対する貧しい村民の反乱を助ける映画)
故金正日(キム・ジョンイル)総書記の望むような映画を作り、
北朝鮮トップの信頼を構築していった二人。
監視の目も緩くなったのでしょう。
1986年3月に映画祭に出席のため、オーストリア・ウィーンを訪問中に米国大使館に逃げ込み、亡命に成功。
その後、10年以上の亡命生活を経て、1999年に帰国出来ました。
また1983年には崔銀姫さんと申監督は再婚しています。
故金正日(キム・ジョンイル)総書記との関係を密にしていく中で、
二人は自分たちが金正日の私利私欲のために拉致されたことを知ります。
「いつか北朝鮮を脱出できたときに、
自分たちの反省をドキュメンタリー映画として制作しよう。」
崔銀姫さんは申(シン)監督の命を受けて録音機を衣服に忍ばせ、
肉声を撮り続けたといいます。
二人が亡命後に作成したこのドキュメンタリー映画が公開されるまで、
二人は『自発的亡命』と信じられていたので、韓国国民はとても驚いたようです。
申(シン)監督79歳で既に亡くなっていますが、
4人いた子供のうち、長男は父親の背中を追い続けたのか、現在映画監督のようです。
韓国映画は見たことがないのですが、
崔銀姫さんがどんな女優であったのかはとても気になります。
そして結婚→拉致→再会→再婚と映画のような人生を送った二人が作った映画、
見てみたいと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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