小林カウ事件wiki経歴と顔画像!死刑囚(昭和の毒婦)の娘,最期と名言まとめ

戦後初の女性死刑執行…昭和毒婦の温泉旅館 連続殺人事件の真相とは?

小林カウと聞いて、ピンとくる方はあまりいないかもしれませんが、
小林カウ(正式名:小林コウ)は戦後最初の女性死刑囚になった人物です。

若い頃より貧困に苦しみ、小学校4年生までしか教育を受けていません。
それゆえ、文字をあまり知らず、自分の名前さえも、本名は「小林コウ」であるにも関わらず
「小林カウ」と表記したため、ホテル日本閣事件の犯人は、女性初の死刑囚で名前は小林カウ
認識されています。

生い立ちが壮絶だったため、無学で知識に乏しかったと言われる小林カウ。
それでも結婚して娘をもうけ、愛した男もいたようです。

小林カウの若い頃の生い立ちや壮絶人生、wiki風経歴は?
顔画像は美人?
昭和の毒婦と言われた小林カウ死刑囚の娘について
最期と名言をまとめてみました。


スポンサーリンク





小林カウ事件wiki経歴と死刑囚(昭和の毒婦)の夫と娘

小林カウ事件(ホテル日本閣事件)とは?

9月18日の「爆報!THE フライデー」で戦後初の女性死刑囚である
小林カウについて特集されます。

どうやたホテル日本閣というところが事件の舞台のようですが
小林カウという女性はどうして死刑を宣告されたのでしょうか。

ホテル日本閣殺人事件とは?
事件名:(別名)小林カウ事件
場所:ホテル日本閣とその周辺
住所:栃木県塩原温泉郷
被害者:3名
被害者名/事件日/場所/死因:
 ①小林カウの夫(当時)/1952年10月2日/自宅/薬
 ②経営者の妻(生方ウメさん・当時49歳)/1960年2月8日/ホテル日本閣?/首圧迫
 ③経営者(生方鎌助さん・当時53歳)/1960年12月31日/ホテル日本閣?/凶器で刺す

小林カウとホテル日本閣の関係は?

ホテル日本閣は埼玉県塩原にある温泉郷にありました。
小林カウも、当時塩原の温泉郷で働いており、
いつかホテル日本閣を買収しようと目論んでいました。

ホテル日本閣は男性経営者とその妻が女将となり夫婦で経営していました。
まずは妻が邪魔だと思ったため、
知人の男(温泉郷の雑用係・大貫光吉)と経営者と共謀。
妻の首を圧迫し、(実行犯は雑用係の男)
ホテル日本閣の女将の座におさまりました。

小林カウの夢は叶えられたと思った矢先、
経営者の男に利用されていることに気付きます。

経営者の男の狙いは、小林カウの財産。
お金目的で自分に近づいたと分かった小林カウは
経営者の男も刺して絶命させてしまうのです。

小林カウwiki経歴、生い立ちや若い頃が壮絶すぎる

小林カウという女は金持ちの生まれだったのでしょうか?
実はそうではなく、貧困家庭で育ち、若い頃は大変苦労したようです。

小林カウwiki経歴/生い立ち
名前:小林カウ
本名:小林コウ
生年:1908年
年齢:享年62歳(死刑執行当時)
出身:埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)

埼玉県大里郡玉井村(現在の熊谷市)で生まれた小林カウ。
本名は小林コウといいます。(詳細は後述)

農家の娘として生まれ、7人兄弟の5番目で次女でした。
家族が多いのは、当時の時代背景として
珍しいことではないと思うのですが、
生活はギリギリの貧困状態でした。

学校に通えたのは小学校4年生まで。
それ以降は家事を手伝うため学校には行かず
両親や兄弟を支えました。

そんな生活を5年ほど続け、より良い暮らしを求めて
東京・本郷の旅館へと女中奉公(家政婦)に。

6年東京で奉公した小林カウは、婚期を迎え
実家のある埼玉県大里郡玉井村(現在の熊谷市)に戻ってきました。

長い東京暮らしであか抜けた妹に、姉は見合いを勧めます。
小林カウが嫁いだのは、1930年。(当時22歳)
結婚相手は新潟県柏崎市出身の林秀之助(当時27歳)で
二人は見合い結婚をしました。

古賀哲也とは何者? 須恵川で浮いていた村尾照子さんを発見した第一発見者の義理兄なの?福岡県粕屋町で発見された会社員、村尾照子さんの遺体。事件から6日経過して犯人...
山下智久さんと亀梨和也さんの事務所処分が発表されました。山下智久さんの処分(一定期間の活動休止)が亀梨和也さんの処分(厳重注意)より重いのは、週刊誌でa子と報...
克美しげる(旧芸名克美茂)は殺人事件に関与で芸能界追放?克美しげるは今現在何してる?晩年は娘や妻と絶縁状態?1950年後半に日本で流行ったロカビリー。日本語カバーで...

スポンサーリンク





小林カウ死刑囚の顔画像、若い頃から美人?

小林カウの夫とは見合い結婚、娘をもうけるも。。。

夫の林秀之助は小柄で病弱。
持病もあり、夫婦生活において、小林カウは不満足だったようです。

夫婦は熊谷市で雑貨店を経営していました。

結婚の翌年には息子が誕生するも、間もなく亡くなり
翌年にはが誕生しました。

小林カウにとって、子供はこの娘一人のようです。

小林カウ夫妻の雑貨店は次第に経営が落ち込み
店をたたむことになりました。

夫婦が新天地として選んだのは、熊谷以外の土地。
東京近郊を転々としたそうです。

そのうち戦火が広がるようになり、夫の林秀之助も
戦地に駆り出されましたが、元々病弱なこともあり
更に体調を悪くして、小林カウの元に戻ってきました。

終戦後、小林カウと夫は、熊谷に戻り闇市のような仕事を始めます。
夫は病弱なため、一家を支えていたのは、小林カウ。

大黒柱として大変な思いをしていましたが、
元々貧困家庭に生まれた小林カウ、
この頃、お金を稼ぐことの楽しさを知り
次第に貪欲になっていくのです。

現在、熊谷市の名産品となっている「五家宝」なども
作っていたようです。


引用:https://minna-no-kurashi.jp/article/detail/2586

※五家宝・・・・上野国(群馬県)五箇村の人が初めて製したといわれる〕もち米を蒸して干し、炒ってふくらませたものを水あめで固めて棒状にし、青きなこをまぶした菓子。今は埼玉県熊谷市の名産。

少しずつ自由になるお金も手にした小林カウは、
次第に満足な夫婦生活を送れない夫に満足できず、
愛人を持つようになりました。

こうなると夫婦関係は破綻しそうですが、
大黒柱として病弱な自分と幼い娘の面倒をみてくれている
小林カウに負い目があったのか、
夫の林秀之助は咎めるようなことはしませんでした。

そんな中、小林カウが44歳のときに夫が死去。
(死因:脳出血・享年49歳)

夫婦関係は既に破綻しており、また一財産を築いていた小林カウは
夫の死去にも困らなかったようです。
それどころか、愛人関係にあった年の差のある年下の警官中村又一郎(当時25歳)と
結婚前提の同棲を始めますが、2年ほどで逃げられてしまいます。

警官の方には、金づるとしか見られていなかったようです。

小林カウの方は、より一層「金」に執着するようになります。
夫の死去から4年後には、塩原温泉でお土産店を開店。
翌年には食堂も開店するなど、精力的に事業を拡大します。

小林カウの次の狙いは、同じ塩原温泉で営業をしていた
ホテル日本閣でした。

小林カウ顔画像!若い頃は美人?

若い頃は、貧困の家庭に生まれ不遇な生い立ちだった小林カウ。
しかし、16歳で家政婦として働きに出た東京で洗練された雰囲気をまとい
姉の紹介で見合い結婚。

ここから少しずつ金の苦労からは解放され、
更に愛人を何人も作り、常識外の行動を続ける小林カウですが
どんな顔をしているのでしょうか?

小林カウの顔は実はあまり画像がないようです。


引用:Twitter

こちらが小林カウの逮捕前の顔画像と思われますが
美人というより、愛嬌のある顔という気がします。

土産物屋や食堂など、数々の商売を手広く成功させていた女、
しかも内縁の妻のポジションとして、ホテル日本閣の
女将の座も奪い取った女ですから、
愛嬌があって話し上手、男性から見ると
かわいらしい存在だったのかもしれません。

大津の園児事故死でも現場では急な右折発信車が絶えない?『2歳10ヶ月しか愛情を受けれていない・・・』犠牲となった園児の父親が書いた文章がこの事故の悲惨さを物語っ...
YES高須クリニックの高須克弥医師の長男嫁は高須敬子医師『YES!高須クリニック』でお馴染みの高須克弥院長の息子嫁が綺麗になった?高須クリニックの医師は高須一族だら...

スポンサーリンク





小林カウ死刑囚の最期と名言まとめ

小林カウがホテル日本閣を買収しようとした狙いと理由

壮絶な生い立ちだった小林カウの野心は
年齢を重ねるほど金に執着するように。

塩原温泉郷で商売を次々の成功させ、
土地柄も好きだった小林カウは更なる目標をたてます。

それが

小林カウ
温泉宿をひとつ持ちたい

一国一城の主になる夢を叶えたかったのでしょう。

塩原温泉郷で数あるホテルの中にあって、狙いを定めたのが
「ホテル日本閣」でした。

ホテル日本閣は、名前は立派でしたが、塩原温泉郷の中では新参者。
きちんと根回しをせぬまま、無理やり開業した経緯があったため
同業者で組む温泉組合からも仲間外れにされ、
塩原温泉郷の中では、三流旅館扱いでした。

経営も上手くいかず、間もなく売却されるのでは?
という噂もたっていました。

そのため、三流旅館を買収するくらいの貯金(300万円ほど)を
持っていた小林カウは、直接、ホテル日本閣の経営者
(生方鎌助)に買収の話を持ち掛けます。

しかし、経営は傾きながら、手放す意志はなかった生方鎌助と
小林カウの交渉は決裂。

若い頃、家政婦としての経験があり、
・一国一城の主
・女将としてのステイタス

を諦めきれなかった小林カウはこのとき50歳を超えていました。

小林カウのホテル日本閣の買収の裏側

一方のホテル日本閣の経営者夫婦は、経営難のため
首が回らなくなっていました。

ホテル日本閣の経営を手放そうと勧める妻ウメと
意地でも立て直そうとする生方鎌助の夫婦の溝は埋まりません。

それどころか、生方鎌助は、次第に精神的に参ってしまいます。
無理な経営をますます困窮させたのは、一発逆転を狙って
建て増したホテル日本閣の新館でした。

無事に建設が終われば良かったのでしょうが、
そこまで金が続かず未完成に。

案も尽き、途方に暮れていたところ、
小林カウの存在が思い出されました。

小林カウに持ち掛けた交渉は衝撃でした。

ホテル日本閣 生方鎌助
妻・ウメに対する手切れ金50万を出してくれれば、後釜に迎えてやる

こんな無謀な交渉に応じるわけがないと思いましたが

・一国一城の主
・女将としてのステイタス

の夢を叶えたい小林カウはその交渉に乗るのです。

それどころか、50万円の手切れ金を惜しいと思うようになり
ウメに減額を持ち掛けるのですが、ウメは減額には応じませんでした。

自分の思い通りにならないウメに腹ただしさを覚え、
次第にウメさえいなければ、、、と思うようになるのです。

小林カウ ホテル日本閣事件の経緯

金に絡む欲望が渦巻く中、小林カウの無謀な計画に協力したのは、
信じられませんが、ウメの夫、生方鎌助も同じでした。

実行犯は、小林カウでもなく、生方鎌助でもなく、
ホテル日本閣で雑用係をしていた大貫光吉(当時36歳)でした。

二人とも、自分が捕まるのは避けたかったのかもしれませんね。

小林カウ
手間賃2万円、成功したら抱いてやる

当時の貨幣価値が現在の10倍だと考えて20万円。
その金額でこんな重大な事件の犯人になるのは
考えられませんが、
女性経験のない36歳の男を言いくるめるのは
小林カウには容易かったようです。

しかも、大貫光吉(当時36歳)がいざ計画を躊躇すると

ホテル日本閣 生方鎌助
ウメは体が弱っていて、ちょっと絞めればイチコロだから、今夜は間違いなくやってくれよ

と小林カウの計画を応援するような発言をしたのです。

結局、雑用係大貫光吉は計画を実行し、2万円を受け取り
更に1万円を上乗せされ、ホテル日本閣の旧ボイラー室の土間を掘り
そこにウメの遺体を埋めました。

小林カウの野望 ホテル日本閣を乗っ取るまで

ホテル日本閣の妻が行方不明になったという噂が広がり始め
雑用係の大貫光吉は慌てて、ウメを埋めた土間にコンクリートを敷き込みました。

今度は、コンクリートを敷き込んだ旧ボイラー室に
ウメが眠っているのでは?という噂が流れ、
小林カウら3人の共犯者は、コンクリートを掘り起こし
別の場所にウメの遺体を移動させました。

そんな中、今度は、生方鎌助が狙われることに。
いつまでたっても結婚の意向が見えず、
金づるとしか思っていない心中を察し、
邪魔だと思うようになったのです。

雑用係の大貫光吉をまた言いくるめ、
報酬とホテル日本閣の共同経営者、つまりは旦那として
一緒になることを約束し、1960年の大みそかに
計画を実行したのです。

小林カウの逮捕、そして死刑囚になるまで

ホテル日本閣の夫婦が失踪した
塩原温泉郷は噂でもちきりでした。

次第に噂は拡大し、新聞も取材に乗り出すようになっていきました。

ホテル日本閣の経営者の妻生方ウメが亡くなってから1年。
経営者の生方鎌助が亡くなってから約2ヶ月。

ついに小林カウと大貫光吉が逮捕されました。
(当時 小林カウ52歳)

逮捕されたと同時に、小林カウの周りで起きた死亡事件について
様々追及されました。

脳出血が死因とされた夫、小林秀之助も投書により
警察が捜査を開始。
当時の愛人だった若い警官と共謀した殺人事件だと認定されたのです。

風邪薬と言い渡したものが、青〇〇リで、
夫は変死だったのではないかと疑われました。

裁判は最高裁まで争い、1966年、最高裁が上告を棄却し死刑確定。
1970年に処刑されました。
(小林カウは61歳でした。)

小林カウ死刑囚名言まとめ

小林カウ死刑囚の名言①
「わたしゃ中村又一郎で恋を知った。今でも好きです」

中村又一郎とは、夫の死後、同棲を始めた若い警官です。
(年齢差19歳)。

手広く商売をしていた小林コウですが、闇市などヤバい仕事もしていたため
度々警官の取り締まりの対象としてマークもされていました。

そんな中、小林コウの元に若い警官の中村又一郎が現れます。
当初は、捕まりたくないという一心で、最大限のおもてなしをして
気をそらす作戦だったはずなのですが、
次第に中村又一郎も気分を良くし、
また小林コウも娘の婿にと考えていたはずですが
自分の方がのめりこんでいったのです。

中村又一郎と出会う前に、夫と結婚し、22年間の
夫婦関係を構築していたはずですが
愛情という意味では夫婦関係は破綻していたようです。

そしてそんな母親の呆れた姿をみてきた小林コウの娘は
小林コウのことを毛嫌いし、小林コウと娘の関係は
悪化していったようです。

小林カウ死刑囚の名言②
「財産は何一ついらないから。暇をもらいたい」

小林カウが夫存命のときに、夫の林秀之助に対して話した言葉です。
愛人と濃密な時間を過ごしたいために提案したのですが
愛人との関係は黙認していた夫ですが、
さすがに認めることはなかったようです。

小林コウは、それでも夫と別れたかったのか
実家の兄の家に逃げ込むこともあったそうです。

小林カウ事件まとめ

小林カウは明治生まれの女で、戦後初の女性死刑囚です。
身近にいた夫を含め、裏切られたり、自分の欲望のためであれば
結婚を考えた内縁の夫や、その妻にも手をかけました。

貧困の生い立ちのため、金への執着は半端なく
病弱な夫を支えたたくましい一面もありますが
一方で男性を何人も愛人をしてかかえるような奔放なところがあり
娘に愛想をつかされてしまいます。

その後男女の愛情のもつれや金絡みで
女性でも死刑囚が現れますが、
(・林真須美(和歌山・毒入りカレー殺人事件【11番目】)
 ・吉田純子(福岡・看護師連続保険金殺人事件)
 ・北村真美(福岡大牟田市・4人連続殺害事件)など)
戦後女性初の死刑囚は、小林カウで享年61歳でした。
(死刑判決が出た女性受刑者は戦後3番目ですが
1人は恩赦、1人は獄中で死亡)

事件に絡み、不必要に命を落とした方には
心よりご冥福を心よりお祈り申し上げます。

久留米看護師保険金殺人事件から20年、吉田純子は3人を隷属していた!『黒い看護婦』の書籍化にもなった惨殺事件引用:Amazon2016年に死刑執行済、主犯格吉田純子は生い...
5/12放送の有吉反省会に女優の秋本奈緒美さんが出演されます。何やら、「酢」が大好きで、出演者がドン引くほど、何でもドバドバかけるようです。現在55歳とは思えぬお...
鈴木明子はバセドウ病ではなく拒食症だった、顔画像は?結婚生活僅か1年7ヶ月のスピード離婚、離婚理由は何?旦那は小学校の同級生、再会した鈴木明子に一目ぼれしたエ...
山下智久さんと亀梨和也さんの事務所処分が発表されました。山下智久さんの処分(一定期間の活動休止)が亀梨和也さんの処分(厳重注意)より重いのは、週刊誌でa子と報...

スポンサーリンク