明日待子の今現在の経歴や顔画像! 結婚した旦那や子供娘について

戦時中に活躍した日本初のアイドル・明日待子(あしたまつこ)の今現在は?

13歳でムーランルージュ新宿座デビュー
軽演劇、日本舞踊家、女優として活動してきた明日待子さん。
明日待子さんは、2019年7月に亡くなりました。
そんな、明日待子さんの特集が9/20放送の『爆報フライデー』で放送されるということなので、
今回は、明日待子さんの経歴や旦那、子供について調べてみました。


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明日待子の今現在の経歴や画像は!

明日待子経歴

明日待子経歴
名前:明日待子(あしたまつこ)
本名:須貝 とし子(すがい としこ)
別名義:五條 珠淑(ごじょう たまとし)
生年月日:1920年3月1日
没年月日:2019年7月14日
享年:99歳
出身地:岩手県釜石市
職業:女優、舞踊家
ジャンル:軽演劇、映画、日本舞踊
活動期間:1933年 – 2019年
活動内容 :
1933年 ムーランルージュ新宿座
1955年 五條流舞踊研究所

日本初のアイドル、明日待子の今現在経歴や顔画像

明日待子さんは、2019年7月14日老衰のため99歳で亡くなりました。

明日待子さんは、1920年に岩手県釜石市に生まます。
尺八を嗜む警察署長の父と義太夫を嗜む母親の影響があって芸事に関心を持ち、女優を志すようになります。

そして、1933年に上京し、劇場設立者の佐々木千里宅に居候します。

入団当時の愛称は、「チィ」て、屈託のない笑顔、愛らしいルックスで人気を博し、ムーランルージュ新宿座の看板女優として活躍しました。


引用:https://candy17.club/7168.html

ムーランルージュ新宿座とは
ムーラン・ルージュ新宿座(ムーラン ルージュ〈フランス語: Moulin Rouge〉)は1931年12月31日 設立 。
戦前から戦後にかけて、かつて東京・淀橋区(現・新宿区)角筈に存在した大衆劇場。
1931年(昭和6年)に新興の街・新宿に開館し軽演劇やレヴューを上演して学生や知識層の人気を集め、多くの作家、俳優を輩出して1951年(昭和26年)に閉館した。

ちなみにフランスのモンマルトルに本家、ムーランルージュがあり、
日本語に訳すと赤い風車という意味です。

現役時代は、雑誌のグラビアや初代カルピスCMガール、ライオン、キッコーマンなどのポスターに起用されるなど一大ブームを巻き起こし、現在でいうところのアイドル的人気でした。


引用:YouTube

また、当時開業して間もなかった小田原急行鉄道が増収策として週末のみ新宿から小田原までをノンストップで運行する列車が計画され、その中の発案でムーランルージュ新宿座に「小田急行進曲」と「小田急音頭」の製作を依頼しており、沿線案内の吹き込みには看板スターの待子が担当していました。

1936年(昭和11年)5月には、ムーラン・ルージュ新宿座に観劇に来た間も無く満州に送られる第1師団兵士が、演目終わりに「明日待子万歳!」と声を上げ、この日からムーラン・ルージュ新宿座には「明日待子万歳!」の声が連日響くようになり、学徒出陣が始まるとさらに大きくなっていきました。

1938年には、映画『風車』出演し、以降『春爛漫狸祭』、マキノ映画作品『鉄路の薔薇』合わせて3本出演し、1946年ひ、キングレコードより「楽しき明日」を発売しました。

1979年には、度札幌市民文化奨励賞受賞し1994年に、正派五條流宗家家元、五條珠淑を襲名し、以降、日本舞踊家の師範として活動しましまた。

その後テレビ出演はあまりなく、日本舞踊家を中心に活動していました。

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結婚した旦那や子供娘について!

結婚した旦那や子供

明日待子さんは、1949年に北海道の興行会社「須貝興業(現・SDエンターテイメント)」の御曹司の方と結婚しました。

旦那さんはムーランルージュ新宿座に通っていた早稲田大学の学生だったそうで、
明日待子さんのファンでした。

2人の間に子供はいるのか調べてみましたが、情報はありませんでした。


引用:YouTube

戦後の混乱する日本を元祖アイドルとして活躍し、多くの国民の支えになった
明日待子さんは、2019年7月14日に老衰の為死去されました。
享年99歳 死因は老衰です。

まとめ

明日待子さんは、女優や日本舞踊家として大活躍でした。
ご冥福をお祈りします。

最後までお読みいただき有難うございます。

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