島倉千代子の借金問題に細木数子の持ち逃げあり?
『人生いろいろ』は島倉千代子さんの代表作。
私も大好きな歌です。
島倉千代子さんが亡くなって4年経ちますが、
死因は肝臓がん。
20年にも及ぶ闘病だったようです。
不幸のデパートと言われた
島倉千代子さんの借金問題、
子供、旦那、結婚は?
島倉千代子さんの生涯は、
まさに『人生いろいろ』だったんです。
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島倉千代子の人生いろいろ
デビューは16歳、姉の代わりに歌手になる!
引用:YouTube
普段、演歌を聞かない私ですが、
島倉千代子さんのこの『人生いろいろ』は
歌謡曲なので、曲がリリースされた当時、
私は小学生だったと思いますが、
歌が流行り、この紅白歌合戦も
リアルタイムで見ていたと思います。
山田邦子さんやコロッケさんがよく真似していましたよね。
引用:YouTube
歌はずっと生きていますので、
島倉千代子さんは現在もお元気かな?
と考えてしまいますが、
実はお亡くなりになっています。
いまから5年前の2013年11月6日
死因は肝臓がんでした。
島倉千代子さんの経歴を確認してみましょう。
別名:お千代さん
生年月日:1938年3月30日
死没日:2013年11月8日
享年:75歳
出身:東京都品川区北品川
学歴:日本音楽高等学校卒業
ジャンル:演歌 歌謡曲
職業:歌手
活動期間:1954年 – 2013年
レーベル:日本コロムビア
引用:Wikipedia
島倉千代子さんは、東京都品川区出身。
父親が警察官の家に生まれました。
島倉家は子沢山。
二男四女の四女でした。
実は7歳の時に大ケガを負っています。
当時、長野県松本市に疎開していましたが、
井戸から水を運ぶ途中に転倒、
その際、水が入っていた瓶を割り、
左手首からひじまでを負傷してしまいます。
と医師に泣きつくくらいの重傷だったようです。
幸いなことに腕の切断は免れましたが
47針を縫う酷い傷。
術後の島倉千代子さんは、腕の感覚が無く、
動かすこともできなくなったといいます。
またこのときに多量の出血があったため、
輸血も受けることになります。
このときの輸血が、C型肝炎の遠因になったと
言われています。
左手の動きは、大人になってからも
不自由のままだったといいますが、
動かせるほどにはなったようです。
島倉千代子さんには、しなりしなりと
動くイメージがありますが、
こういった幼少期のケガも影響していたのですね。
落ち込む島倉千代子さんに、母親は
歌をたくさん聞かせて勇気づけました。
島倉千代子さんの姉、敏子さんは
歌がうまく歌手を志望していたようですが、
小児麻痺を患っていたため歌手になることを断念。
代わりに、島倉千代子さんが、姉の夢を
叶えようと歌手になることをこの頃に決めたようです。
姉に声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入団。
左手に負担の無いアコーディオンを担当。
歌唱力があったためボーカルにも起用されました。
地元の品川神社で催されたのど自慢大会には
毎回姉妹で参加するなど『仲良し歌うま姉妹』として
有名だったようです。
デビューは10歳の頃、
童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから
発売されています。
高校は品川区の日本音楽高等学校に進学。
歌への情熱は消えることなく、
歌謡コンクールにも積極的に参加していきます。
デビューのきっかけは、
1954年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝したこと。
同年にし、コロムビアと専属契約を結びます。
(当時16歳)
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島倉千代子の人生いろいろ、子供,旦那,結婚は?
芸名でデビューする人が多い時代ですが、
島倉千代子さんは、16歳の時、本名でデビューします。
デビュー曲は、『この世の花』
引用:YouTube
デビュー曲が半年で200万枚達成。
CDの売れないいまの時代では考えられないくらいの
大ヒット。
一躍人気歌手になった島倉千代子さんは、
驚異のスピードで次々にヒット作を
歌い続けます。
(1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲)
デビューの3年後、19歳の時、
『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。
引用:YouTube
20歳の時には『からたち日記』が130万枚のヒット。
引用:YouTube
たくさんのヒット作を歌い続けた島倉千代子さんは
20歳で、実家のある品川区北品川の隣町
港区高輪に一戸建てを購入。
しかし、この後から、不幸なことが続きます。
1961年(23歳)、
ファンが投げた応援テープが
両目に当たって失明の危機に陥るのです。
腕の良い医師のおかげでなんとか
失明の危機は免れました。
1962年(24歳)、
何者かによって後援会事務所に爆発物が
送りつけられ、負傷者。(草加次郎事件)
1963年(25歳)、父・壽雄さんが他界。
毎年毎年悲しい出来事が起こる中、
当時交際していた
元阪神タイガースの藤本勝巳さんと25歳で結婚。
引用:http://looksroom.blog.jp/archives/26420180.html
引用:http://gensun.org/pid/158678
この結婚に母親は大反対だったようです。
引用:https://s.webry.info/sp/nekotomo.at.webry.info/201311/article_4.html
母の勘なのでしょうか?
島倉千代子さんは、結婚前に一度妊娠しており、
結婚後も2回、いずれも藤本勝巳さんとの間の
子供を妊娠していますが、産まない決断をしています。
産まない決断をした理由は明らかになっていませんが、
実は旦那の金銭問題が原因のようです。
野球を引退した元旦那、藤本勝巳さんは
クラブ経営を始めましたが
うまくいかず6,000万円の借金を負います。
人気歌手としてハードスケジュールを
こなしていたとみられる島倉千代子さん。
仕事に穴を開けるわけにはいかないという
仕事への熱い情熱もきったあったと思いますが
夫の借金問題が子供を産まない選択肢を
決断したと考えられます。
生まれてくることが出来なかった
島倉千代子さんの3人の子供たち。
島倉千代子さんはこの三人の子を合わせて
「忍」と名付けた
水子地蔵を持ち歩いてたようです。
また『忍』の名は、島倉千代子さんの墓碑にも
島倉千代子さんの名前の横に並んで
刻まれているようです。
この『忍』という文字は、島倉千代子さんの
人生の教訓にもなったようです。
人生はどんなことがあっても耐え忍びなさい
そんな言葉をいつも自分に言い聞かせていたようです。
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島倉千代子の人生いろいろ、細木数子が持ち逃げした借金問題とは?
母親の反対した結婚、子供もあきらめ
仕事に没頭していた島倉千代子さん。
結婚はわずか5年で破綻してしまいます。
(当時30歳)
離婚理由は『すれ違い』
別居を経ての離婚でした。
島倉千代子さんは
家族の元に戻りたかったようですが、
反対を押し切って結婚したために門前払いされ、
自分だけの戸籍を作ったのです。
その4年後、34歳の時、
最愛の母、ナカさんがが脳軟化症により他界。
ここから、島倉千代子さんの本当の悲劇が始まるのです。
37歳の時、
以前失明の危機を救ってくれた眼科医に頼まれ
実印を貸してしまうのです。
その実印は色々な人に渡り、
眼科医・マネージャー・赤の他人まで。
知らない間に、多数の人々の保証人にされてしまうのです。
勝手に保証人にされた上に、
その知人たちは、島倉千代子さんの元を
次々の去っていき、残ったのは雪だるま式に
増えていく借金だけ。
当時総額16億円といわれました。
また39歳の時には、
島倉千代子さんが依頼した手形の裏書に
サインをしてもらっていた前述の眼科医が
事業に失敗し、蒸発。
これにより、手形が不渡り手形となり、
島倉千代子さんは借金の連帯保証人にされ、
更に2億4000万円(当時判明分)の借金を
負ってしまうのです。
この眼科医、島倉千代子さんの
交際相手だったようです。
島倉千代子さんの借金問題はついに20億ほどに。
莫大な借金返済のため、
昼は歌の収録やコンサートなど
本業の歌手活動の他
写真集発売や全国各地のキャバレー回り、
地方興行などをこなしていった島倉千代子さん。
驚くのは、この借金20億を7年で完済したというのです。
実はこの借金問題の陰に、
あの細木数子さんが加担しているというのです。
20億円という途方もない借金に八方塞がりだった
島倉千代子さんは、細木数子さんを頼ったそうです。
細木数子さんは、借金の面倒をみる代わりに
島倉千代子さんの興行権を掌握したと言われています。
イメージ的には、細木数子事務所に所属する
島倉千代子さんのような感じでしょうか。
これは島倉千代子さんが働けば働くほど
細木数子さんが富むということ。
写真集の発売などは、
細木数子さんの助言もあったのでしょうか。
そんな風にも考えてしまいますね。
島倉千代子さんの借金の後見人になったのは
細木数子さんの内縁の夫でした。
取り立てにくる暴力団たちを、現場で
盾となって裁いたのがこの細木数子さんの
内縁の夫だったようです。
一部情報では、細木数子さんは、
1977年3月に「ミュージックオフィス」
という芸能プロを立ち上げています。
7年間で完済したと報道されている
島倉千代子さんの借金。
本当は、3年間で完済していたのでは?
とも言われています。
つまり、借金の総額が、島倉千代子さん自身も
把握しきれなくなっており、細木数子さんの
言われるがままにただ馬車馬のように
働いていたと言います。
その後、細木数子さんは、自分の経営する
芸能プロダクション『ミュージックオフィス』から
興行権をレコード会社の日本コロムビアに譲渡。
移籍金として2億円もしっかり受けとったようです。
つまり数億の、もしかしたら
数十億の金を島倉千代子さんから稼いだ計算になります。
晩年の島倉千代子さんは乳がんや肝臓がんと
闘病していたようです。
離婚も、子供のことも、家族絶縁や借金問題など
幾多の苦難を乗り越えた島倉千代子さんが
歌った『人生いろいろ』は、
『死んでしまおうなんて悩んだりしたわ~♪』
という歌いだしの歌詞から始まります。
まさに人生いろいろ、
そんな島倉千代子さんの75年の人生を知った上で、
『人生いろいろ』を聞くと、かなり心に響きます。
引用:YouTube
島倉千代子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございます。
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