大阪府西成区で働いた夜回り先生、医師の矢島祥子先生はなぜ殺された?
2009年11月16日早朝
大阪市西成区の通称「あいりん」地区で、
野宿者や日雇い労働者らに医療支援をしていた
女性医師、矢島祥子(やじまさちこ)さん(当時34歳)が
西成区の木津川で水死体の状態で見つかった事件から
およそ9年。
キリスト教徒として信念を貫き、
野宿者ネットワークの夜回り、
越冬闘争のわてらの釜ヶ崎の夜回り
などをライフワークにしていた
女医、矢島祥子さんはなぜ亡くなったのでしょうか。
佐藤豊さんとの関係は?
矢島祥子さんの経歴や大学は?
事件を風化させないために
『特捜!最強FBI緊急捜査 日本未解決事件を追う!』
(フジテレビ)で特集されます。
矢島祥子さん死の真相は?
・絞殺
・事件前の恫喝
・自転車の放置
・遺体遺棄現場
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目次
矢島祥子医師殺人事件、事件内容とは?
矢島祥子先生の経歴や高校、大学は?
2009年11月16日午前4時過ぎ。
大阪府西成区に流れる木津川の渡船場で
一人の女性が川面に浮いているのを
釣り人が発見しました。

2007年4月1日から大阪府大阪市西成区鶴見橋の診療所で内科医として勤務し、労働者支援、夜間パトロールなど地域活動を行っていた女性(当時34歳)が、2009年11月16日、診療所から2.5 kmの位置にある、大阪市西成区の木津川、千本松渡船場(水深約8 m)にて死亡を確認された。
この事件に関し、大阪府警察本部は女性の遺体を検視した結果、女性が死亡直前に知人に送った手紙等を根拠に、「過労による自死」と判断したが、2010年9月14日、再捜査要求、苦情申し立てが大阪府公安委員会に対して女性の遺族から行われる。2012年8月22日、遺族が提出した「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理され、再捜査が行われることとなった。
引用:Wikipedia
事件は、大阪府西成区のの通称
『あいりん地区』と呼ばれる場所周辺で
起こっています。
別名:さっちゃん・西成のマザー・テレサ
生年月日:1975年3月30日
享年:34歳
出身地:群馬県高崎市
学歴:群馬県立高崎女子高校⇒国立群馬大学医学部
職業:医師
勤務地:くろかわ診療所
信仰:キリスト教
家族:両親、兄2人
矢島祥子さんは、ご存命であれば現在43歳。
ご家族は、両親(父:矢島祥吉さん、母:矢島晶子さん)
と兄2人(長兄:敏さん・次兄:洋(ひろし)さん(45))と
弟1人(剛さん)の5人家族。
ご両親は共に医師で、矢島祥子さんと同じ
群馬大学卒業だったようです。
高校は群馬県立高崎女子高校。
群馬県内159校のうち偏差値は68で
第3位の進学校。
公立ではありますが、
グローバルリーダー育成講座という授業があり、
大学講師を招くなど、他の高校にはない
オリジナルの教育をモットーにしているようです。
進学率も高く、矢島祥子さんは現役で
両親と同じ国立大学、群馬大学医学部に進学します。
両親が医師だったため、医師になることは
自然な進路選択だったのかもしれませんが、
矢島祥子さんの家族によると、
高校時代に、開発途上国の
難民キャンプで働く医師の姿をテレビで見て、
医師になることを決意したようです。
奉仕の心を根付かせていた矢島祥子さんは、
ふるさと群馬県を後にし、
事件が起こる2年前の2007年4月1日から
大阪府大阪市西成区鶴見橋の診療所で
内科医として勤務していました。
慕っている恩師からの紹介があったと言われています。
日雇い労働者などが多く住むと言されている
同地区、男性だけではなく女性のホームレスもいたことで、
矢島祥子さんは労働者支援、
夜間パトロールなど地域活動を始めます。
そんな『西成のマザー・テレサ』で知られており、
労働者たちからは『さっちゃん』と慕われていた
矢島祥子さん、
2009年11月16日、診療所から2.5 kmの位置にある、
大阪市西成区の木津川、千本松渡船場(水深約8 m)にて
水死体となっているのを通りがかった釣り人に発見されたのです。
(最後に出勤したのが確認されてから2日が経過していました)
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矢島祥子先生、佐藤豊さんとの関係は?
遺体は、検視の結果、
当初は、過労による自 死 ではないか?
と見られていましたが、
共に医師である両親が娘の遺体と対面したときに、
これは他殺なのではないか?と
疑問を抱き、再捜査が行われました。
現在は、他殺として警察は捜査を続けているようですが、
犯人はまだ捕まっていません。
そんな中、矢島祥子さんと関係があった
一人の男性が突然の死を迎えます。
男性に名前は佐藤豊さん。
あいりん地区出身者で、当時無職の64歳でした。
引用:西成WIKI
佐藤豊さんと矢島祥子医師との関係は、
夜回りをしていたときに出会ったようです。
あいりん地区で寝泊まりをする人は、
生活保護を頑なに拒否する人が多いようですが、
矢島祥子先生は、中には生活保護の制度を知らない
人も多いため、まず説明をし、
一人一人自立を促していたようです。
そんな夜回りの中で二人は出会いました。
佐藤豊さんも当初は、頑なに生活保護を受けて
この場所を去ることを拒んでいたようですが、
と言って、生活保護の手続きをし、
紹介されたアパートに引っ越していたようです。
あいりん地区を去った人たちは、戻ってくることは
少ないようですが、佐藤豊さんは、矢島祥子さんと共に
夜回りをしに度々顔を出していたという
話もあります。
そう、矢島祥子さんのことを慕っており、
インタビューを受けた際には
マスコミには、
と名乗っていたようです。
この真相は、矢島祥子さんが亡くなったいま、
事実は明らかになっていません。
佐藤豊さんも実は矢島祥子さんの死から約1年後
亡くなっています。
大阪市西成区花園北のアパート3階の無職、佐藤豊さん(64)方付近から出火。同室を全焼し、焼け跡から男性の遺体が発見された。西成署は、亡くなったのは佐藤さんとみて身元確認を進めるとともに、出火原因を調べている。同署によると、佐藤さんは1人暮らし。
アパート住人が佐藤さん方から煙が出ているのを見つけ、佐藤さんのケアを担当している社会福祉法人の男性職員(34)らが駆けつけて119番。この職員と住人の50代男性の2人が煙を吸って病院に搬送されたが、いずれも軽症とみられる。
引用:(MSN産経ニュース)
この死も、疑うところがたくさんあると言われていますが
真相は闇の中のままです。
佐藤豊さんは矢島祥子さん事件の真実を追及するために、
数多くの取材を受け、集会を開くなど積極的に
活動していました。
不審死の直前にも事件報告会を開き、
そのときからすでに多くの脅迫を受け
身の危険を感じていたようです。
佐藤豊さんの前職はフランスを相手に
貿易の仕事をしていたと言われています。
60歳頃、あいりん地区にやってきたようです。
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矢島祥子さん、佐藤豊さんの死の真相は?貧困ビジネスに首突っ込んだ?
矢島祥子さん、佐藤豊さん、
2人の死の真相は何なのでしょうか?
調べていくと、『貧困ビジネス』というキーワードが
浮かび上がってきました。
引用;朝日新聞
貧困ビジネスとは、
路上生活者たちに生活保護などを申請させ、
またアパート紹介や職業斡旋、食事のお世話をする中で、
その対価として元路上生活者たちに金を要求することのようです。
矢島祥子さんは西成区で、路上生活者たちと
接している中で、この「貧困ビジネス」を
知ったようです。
西成区の生活保護問題は深刻で、
年間600億円を超えると言われています。
生活保護受給者は医療費はタダ。
これを逆手に取った犯罪も起きました。
この地区にある診療所医師が
生活保護者が受診したかのように装った偽装工作をし
3000万円以上の診療報酬詐欺で逮捕されました。
これも貧困ビジネスと言えるでしょう。
矢島祥子さんらは、これら問題事項を
告発する動きをしていたと言われています。
そのことを重要視した
闇の組織(西成区区政会議・様々な組織からなる団体)
から狙われた可能性が高いと考えられています。
自 死 を装うために、
・指紋をつけない
・綺麗に掃除されて証拠らしきものが亡くなっている
この『後始末』も闇組織が
動いた結果ではないかと言われています。
未解決事件ですが、犯人逮捕まで
事件を風化させてはいけませんね。
ご家族は、矢島祥子さんの死の真相が分かるまで、
遺骨は納骨できないようです。
また何かの手掛かりになればと、
矢島祥子さんの住んでいた西成区の自宅も、
そのままにしているようです。
矢島祥子さん、佐藤豊さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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