8月半ばに一時危篤の樹木希林、現在のガン状況は深刻だったも、宗教に救われた?
女優の樹木希林さん(75)が、15日亡くなったと発表されました。
8月には大腿骨骨折(だいたいこつこっせつ)しており、
義理の息子である本木雅弘さん(52)が、
実は一時危篤状態だったということを明かしていました。
樹木希林さんのがん闘病の時系列まとめ
夫、内田裕也さんとの不思議な夫婦関係と
離婚しない理由は宗教家の信仰と希心会?
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樹木希林死因は全身ガン,声が出せない深刻状況
独特な存在感と、唯一無二の演技派女優として知られた
樹木希林さんが亡くなりました。
享年75歳。
死因は公表されておりませんが、
かねてから全身ガンを公表し、
映画やドラマ、CMなどに出演しながらも
ガンと闘病していたようです。
作品ではお見かけしましたが、
作品発表や、イベントの囲み会見での
露出は控えていたようで、
先月も、娘の内田也哉子さんの旦那である
本木雅弘(52)さんが
30日、「全国統一防災模試」のPRイベントに出席した際
樹木希林さんの現在の病状を語る場面がありました。
本木雅弘さんは
「多くの方に心配をかけております。樹木さん(義母)の様子についてご報告できればと思っています」
と話し、
樹木希林さんが、8月13日、
左の太ももの骨、大腿骨を骨折し、
15日に手術をしていたと明かしました。
●2004年
・6月、自身の触診によって、乳がんであることを直感する。
・9月、病院で乳がんとの診断を受ける。
●2005年
・1月、右乳房全摘出手術を受ける。
●2007年
・乳がんが再発。放射線治療を受ける。
●2008年
・がんが、腸、副腎、脊髄に転移。
●2013年
・3月、全身がんであることを公表。
●2014年
・1月、がん治療終了を公表。
骨折した状況は、
「(樹木希林が)知人宅にお伺いしまして、そのお宅が、外階段が3階分あるんですね。
それを、ちょっと無理して登られて、それで上がったところで、本人いわく『ポキっといってしまった』。
その時たまたま、私の妻である娘の也哉子が一緒におりましたので、
(樹木希林を)抱えて病院に向かったと、そういう状況で」
だったそうです。
手術内容は、
「いわゆる大腿骨骨折ということで、チタンを入れる手術をしました。
その後の経過で、もともと気管支が弱いということとか、
がんの影響ももちろんありますので、肺のあたりが弱っている部分もありましたので、
実は一時“危篤状態”みたいな場面もあったんですが、それも無事に、
その危機を回避しまして、落ち着きまして」
という樹木希林さんのがん闘病での
もろくなってしまった体調を気遣いながら話していました。
一時危篤と言われると、
もう余命が短いのでは?という思いがしますが、
樹木希林さんはその後容態が落ち着き、
リハビリに取り組んでいるいま現在であるという話でした。
その約1ヶ月後に、死去のニュースが飛び込んできたので、
やはりガンの状況が深刻であったという事実はあるようです。
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内田裕也と離婚しない理由は希心会?
樹木希林さんのサービス精神なのか、
本木雅弘さんの義母を思いやる優しさなのか、
そのイベント会場で、本木雅弘さんが一枚の紙を披露しました。
『細い糸1本でやっとつながっている。声一言もでないの しぶとい 困った 婆婆です K.KIKI』
生死の境にいるという状況を
蜘蛛の糸の例えて
自身の頭から伸びる糸を
ハサミで切られるか切られないかの瀬戸際にいる様子を
表現しているのだそうです。
樹木希林さんの様子を
報道陣から問われるだろうと分かっている
義理息子の本木雅弘さんは
「無理やりこういったものを書いてもらいました。実際にはひーひー言いながら書いていただいたんですけど、わたしがつまらないコメントをするよりも、樹木さんに直接書いていただいた方が、みなさんにも状況が伝わるかなと」
と樹木希林さんの現在の病状を説明。
決して『お元気な』状態ではないが、
必死に闘病している様子がこの一枚で
よくわかります。
この時点で、骨折のリハビリも兼ねている状況だったのでしょうか、
病院に入院していたという樹木希林さん。
本木雅弘さんは
「これはですね、ハサミの絵なんですね。いつ切られてもおかしくないという自虐の。ここでも、わたしたちも思わず笑ってしまったんですけど。(本木さんは病院にいかれて?)わたしは時々顔を出す、それで足をさすってるんですけど、『本木さん…痛い…強すぎる…さするだけでいい…』、怒られてます」
と周りを暗い表情にさせないために努めて
明るくふるまっていらっしゃいました。
骨折の完治までには全治6週間ほどと説明され
本当であれば今月末頃には退院できたはず。
車椅子での生活ができるようにリハビリに取り組んでいるが、
声が出ない日もあり、多少の不自由はあると現状を説明していました。
手術直前には、夫の内田裕也さんにも電話をかけており、
という会話が夫婦間であったようです。
引用:http://know01.com
内田裕也さんが見舞いに来たかどうかについて、
本木雅弘さんは
「裕也さんも動くのが大変ですからね。『事実をワイドショーで知ったらかわいそうでしょ』と」
と見舞いには来ていない様子を話していました。
別名義 悠木 千帆
生年月日 1943年1月15日
没年月日 2018年9月15日(75歳没)
出生地 東京府東京市
(現・東京都千代田区)
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ
活動期間 1961年 – 2018年
活動内容 1961年 – 文学座に入団
配偶者 岸田森(1964年 – 1968年)
内田裕也(1973年 – )
著名な家族 (娘)内田也哉子(うちだ・ややこ)(42)
(義理息子)本木雅弘(52)
(孫)内田伽羅
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%B9%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E6%9E%97
樹木希林さんは、高校(千代田女学園)在学中、
演劇部に在籍し、薬剤師を志望し大学進学を考えていたようです。
しかし、受験直前にスキーで足を怪我してしまい
大学受験を諦め、文学座付属演劇研究所に入ります。
その当時の芸名は「悠木千帆」。
いまとは違う奇抜なファッションで街を闊歩するなど
していたようです。
1965年に文学座の正座員となるも1966年に文学座を退団。
以降は個性は女優として、独特な存在感を放り名脇役を演じてきました。
多くのドラマ、映画、舞台に出演するも、
当たり役だったのは老け役だったため20代の頃から
実年齢よりも年が上の女性を演じることが多かったようです。
特に当たり役だったのは
1974年にTBSで放送されたドラマ『寺内貫太郎一家』。
主役の貫太郎を演じた小林亜星さんの実母役を演じましたが、
実際には、樹木希林さんは小林亜星さんより10歳も年下だったようです。
頭髪を脱色し「老けメイク」を施し、
当時30代前半のまだまだ若い手との不自然さを隠すため、
劇中は指ぬき手袋を外さなかったという逸話もあります。
実はバツイチの樹木希林さん。
最初の結婚は1964年。
お相手は俳優の岸田森さんですが、
結婚生活はわずか4年で破綻。
岸田森とおしどり夫婦だった頃の悠木千帆。幸せに暮らしていたが、あるとき、何の理由もなくどちらかが「別れようか」と言い出し、「そうだね」と答えて。離婚したのだとか。何となくこの二人だとありそうなことだと思えてしまう個性だった。 pic.twitter.com/kTkVbCZD8v
— カラサワ (@cxp02120) 2018年9月16日
樹木希林さんと岸田森さん pic.twitter.com/CYjbjtcbQN
— カエル岩 (@kaeruiwa1963) 2018年9月16日
岸田森と結婚していた頃の悠木千帆(樹木希林)。岸田の趣味、蝶採集に付き合うといった態の記事。 pic.twitter.com/qB1PxpmU3b
— もうれつ先生 (@discusao) 2018年9月16日
引用:Twitter
再婚相手は内田裕也さんで1973年10月に結婚しています。
現在も内田裕也さんとは結婚継続中ですが、
結婚から僅か1年半で別居し、
現在もずっと別居生活を貫いてきました。
その夫婦生活はかなり異色で、
若い女性との不倫騒動が何度かあった内田裕也さん。
1981年、内田裕也さんが
樹木希林さんに無断で離婚届を区役所に提出したものの、
樹木希林さんは離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こし勝訴したという
過去もあったようです。
それまでは我関せずの間柄だったようですが、
その後は1年に1回連絡を取り合う程度の関係となり、
2005年1月、乳癌が判明して摘出手術を受けたことを機に連絡は1か月に1回となり、
以降毎年1月は一緒にハワイで過ごすようになったという
晩年に連れて仲良くなっていくという
不思議な夫婦関係でした。
内田裕也さんと樹木希林さんの間には
1人娘の内田也哉子(うちだ・ややこ)さんがおり、
也哉子さんの旦那様が前述の本木雅弘さんです。
この不思議な夫婦関係を調べていくと、
樹木希林さんの『希心会』という宗教に
ルーツがあるようです。
出典:http://www.news-postseven.com
「裕也さんは、希林さんにとって“墜ちた人”つまり、救わなければいけない存在なんです。彼の人生を全うさせてあげたいと考えている。だから、希林さんはどんなことがあっても、裕也さんと離れることはない。浮気されたら別れる人が多いけれど、一緒に住まなくても浮気されても夫婦なんだという考えなんでしょう」
出典:http://www.news-postseven.com
西田無学が提唱した在家による法華経の先祖供養を行う霊友会及び思親会の教義を引き継いでいる。教団運営は質素を旨とする。会長及び支部長などの幹部は無収入でなるべく教団の運営費を少なくするため行われている。これは霊友会の初期と同じで今も実践されている。会員の寄付やお賽銭をいただかないためで有る。
樹木希林さんの希の字は、希心会より一字受けている。
引用:Wikipedia
つまりは、樹木希林さんにとって
内田裕也さんは放ってはおけない存在ということですね。
ここで自分が離婚すれば、娘や他の家族が尻拭いをしなければならず苦労するから、私が最後まで面倒みよう・・という覚悟だと思います。
内田さんは女性にも平気で暴力を振るう人です。
将来、誰も面倒を見てくれる人がいなくなって娘の也哉子さんが介護をしなくてはならなくなったときでも、娘にも暴力をふるいそうです。
暴力癖は治りません。
だから最後は自分が面倒を見て看取ろうと、ほぼ樹木希林さんひとりで女手ひとつで育て上げた娘さんへの愛情だと思います。
私は会見を見て夫への執念ではなく、娘さんへの強い母性を感じました。
他人には、少し理解しがたい夫婦像ですが、
樹木希林さんと内田裕也さんは、
強い絆でしっかりと結ばれているのでしょう。
どちらかといえば、樹木希林さんの方が
内田裕也さんにゾッコンであるように見えますが、
こんなエピソードもありました。
「内田裕也の全てが、好きです。全てが…。」と語り、もし生まれ変わっても内田と出会いたくない。彼と出会ってしまえば、また好きになって大変な人生を送ることになるからだという樹木。
暴力があっても、
見捨てるのではなく私が救う。
好きだから、生まれ変わったら敢えて出会いたくない。
内田裕也さん、本木雅弘さん、内田也哉子さん、
芸能界デビューした内田伽羅さんらに看取られて
樹木希林さんは旅立ったのでしょうか。
色々なエピソードを知ると、
残されたご家族、特に旦那の内田裕也さんが
どんなコメントを発表するのか知りたいですね。
樹木希林さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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