6月9日、東京発新大阪行きの最終新幹線
(のぞみ265号)に乗っていた梅田耕太郎さんが、
凶悪犯小島一朗容疑者(22)に刺されて亡くなった事件。
梅田さんの家族がコメントを発表しました。
怒りはもちろんあるのでしょうが、
それを上回る喪失感に、ただただ深い悲しみを
感じます。
勇敢で優しく、また頭も良かった梅田耕太郎さんが
どうして亡くならなければならなかったのでしょうか。
梅田耕太郎さんの中学、高校、大学、大学院、
そして勤務先会社が明らかになっていくと、
更にそのお人柄が滲みでてくるようです。
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梅田耕太郎さん,中学高校は栄光学園,
東大院卒で勤務先はBASFジャパン
勇敢な会社員、梅田耕太郎さんが亡くなって
10日ほどが経過しようとしています。
ご家族は、会社関係者、知人は元より、
梅田耕太郎さんを知らない全国の人が
怒りと無念さを感じています。
事件詳細と、逮捕された後の
小島一朗容疑者の供述などが伝えられると
より一層梅田耕太郎さんを失った
ご家族の無念さが心に響きます。
梅田耕太郎さんとは、どのような人物だったのでしょうか。
≪梅田耕太郎さん経歴・プロフィール≫
名前:梅田耕太郎さん
年齢:38歳
出身:神奈川県?
職業:会社員
勤務先:BASFジャパン
学歴:栄光学園中学⇒栄光学園高等学校⇒
東京大学工学部⇒東京大学大学院
職歴:京セラ⇒SABIC⇒BASFジャパン
家族:妻(嫁)、両親
父親(父親は日本経済新聞の元取締役か?)
梅田耕太郎さんは、
小学校までは市立の小学校に
通っていたようです。
地元小学校では
「学校始まって以来の秀才」
と呼ばれていたほどの
逸材だったようです。
高みを目指して中学は私学を選んだのでしょうか。
中学受験したのは、
栄光学園中学校・高等学校
(〒247-0071 神奈川県鎌倉市玉縄4-1-1)
JR東海道線・横須賀線・根岸線「大船」徒歩15分。
引用:中学案内
栄光学園は中高一貫教育の男子校。
昭和22年カトリックのイエズス会により創立した
歴史のある名門校です。
偏差値は68。
学校の基本方針は、
カトリックの教えをもとに、
心豊かで知性と実行力のある若者の育成を
目標としているようです。
この中高6年間の間に
カトリックの博愛の精神を学んだのでしょうか。
梅田耕太郎さんは、小学生の頃から
正義感をもった人として
同級生に認知されていたようです。
いじめには真っ向から立ち向かい、
「そんなことしてはだめだよ」
と臆せず発言できる人柄だったようですね。
大学は、東京大学工学部に進み、
その後東京大学大学院に進学、
博士課程の特別研究員になったようです。
勉強はもちろん出来たようですが、
決してがり勉タイプではなく、
文武両道。
スポーツにも熱心に取り組み、
大学ではテニスサークルでも
熱心に活躍されていました。
東京大学大学院では
プラズマ核融合を研究テーマとしていました。
その後、東京大学院を出て、
一般企業に就職しているようです。
もしかしたら、梅田耕太郎さんの
優秀さを知った企業側が、
ヘッドハンティングしたことも
考えられますね。
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カトリックの教えが勇敢さを培った?
梅田耕太郎さんを知る人たちは
一様に、勇敢で謙虚だったと
その人柄を語ります。
誰がどう見てもエリート中のエリート
である経歴を自慢することなく、
誰にでも優しかった、
誰からも信頼されていた様子の梅田耕太郎さん。
奥様のご出身は関西で、
梅田耕太郎さんは神奈川出身。
ご結婚はされていたようですが、
奥様も仕事を持っていたため、
一部情報ではまだ同居していなかったのでは?
とも言われています。
梅田耕太郎さんが関東在住で、
奥様が関西在住(兵庫県)。
週末だったため、奥様に会いに、
研修を終えた足で、最終の新幹線に
乗ったようです。
梅田耕太郎さんは、
事件が起きた時、
のぞみの車内12号車の最後列に座っていました。
この車両は指定席でしたが、
小島一朗容疑者は自由席の切符しか持ってなく、
なぜこの指定席に乗車していたのか不明です。
横浜を出発して数分後、小島一朗容疑者は
無言で立ち上がり、
頭上の荷物棚に置いていた
リュックの中から凶器(なた)を取り出し
両隣の女性をいきなり切りつけました。
小島一朗容疑者の2列後方に座っていた
梅田耕太郎さんはどの時点でこの様子を
目撃されたのかは不明ですが、
おそらく女性の悲鳴で立ち上がったのでしょう。
身長180㎝の梅田耕太郎さんは、
小島一朗容疑者のゆっくりと近づき、
行動を制止したようです。
その隙に切りつけられた女性二人は
新幹線後方に逃げることができました。
後に、
「制止されたことに腹が立った」
と話している小島一朗容疑者は、
梅田耕太郎さんともみ合いになります。
小島一朗容疑者の方が小柄ですが、
凶器を持っています。
もみ合いになった衝撃で、
梅田耕太郎さんは通路に倒れてしまったようですが、
その上に馬乗りになり
何度も切りつけたようです。
その数は60ヶ所以上と言われています。
事件の詳細を知れば知るほど、
その勇敢さに絶句してしまいます。
38年の梅田耕太郎さんの人生の中で、
カトリックの学校に行っていた6年間がありますが、
その栄光学園の教育理念は「Men for others」
のようですが、
この栄光学園の教えだけでなく、
梅田耕太郎さんが元々持っていた優しい性格と
ご両親の教育、そしていままでの友人たちに
愛されてきた環境が梅田耕太郎さんの
この勇敢さを培ったのではないかと
思えます。
凶器を持っている犯人に、危険を顧みず立ち向かい、
知らない女性二人を助けた勇気ある行動は
本当にマネできることではありません。
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妻や家族のコメントとは?
【妻】
この度、夫の葬儀が無事に済みましたことを、ご報告します。ごく内輪で、心静かに送ることができました。
夫は、私にとって、世界一優しい夫でした。
2人とも旅行が好きでしたので、私が行きたいところを考えて、夫が旅行プランを作って、色々なところに出かけました。
いつも家事を積極的に手伝ってくれ、私の仕事が忙しい時には、自分の仕事が忙しくても、ご飯を作って応援してくれました。
たくさんの優しさと愛をありがとう、安らかに眠ってくださいと伝えたいです。
夫を突然失った悲しみが癒えることはありません。このような悲しい事件が二度と起こらない社会になることを強く願います。
今回の事件については、私たち遺族に対してもたくさんの励ましのお言葉やお心遣いをいただいております。
また、直接、面識の無い方からも、たくさんのご厚意が寄せられていると聞いております。
この場を借りて、皆様に感謝を申し上げると共に、お心だけちょうだいし、それ以外につきましては、全て辞退させていただくことをお許し下さい。
【両親】
葬儀を終えた今となっても、息子がいなくなったということが信じられません。いつもどおり「ただいま」と笑顔で帰って来そうな、そんな気がしてしまいます。
でも現実に立ち返ると、胸の張り裂けそうな悲しみと喪失感に、ただただ涙が流れるばかりです。何を見ても息子との思い出が浮かんできます。
小さい頃からひょうきんで、みんなをいつも笑わせてくれました。中高でも大学に入ってからもたくさんの友人とともに充実した日々を送り、世界を広げていました。
会社に勤め、結婚し、ともに働く2人の生活を本当に楽しんでいました。忙しいのに私たちにもこまやかに気にかけてくれました。どの姿も無理のない自然な彼のままでした。
穏やかに冷静に物事を判断できる性質でしたのに、このような事件に遭遇してしまったことが本当に悔しく無念でなりません。それでも目の前の危機に手を差しのべずにいられなかった息子の勇気に、我が子ながら心を激しく揺さぶられております。
このような苦しくつらい事件が二度と繰り返されないよう、対策をとっていただけることを望んでやみません。
事件後に多くの方々から励ましのお言葉を頂きました。皆様が息子を悼んで下さるお気持ちに深く感謝申し上げます。
今はただ、息子の思い出と共に静かに過ごしたいと願っております。
何とぞご理解いただきますよう伏してお願い申し上げます。
妻やご両親のコメントを見ても
悲しみに暮れ絶句している様子が見られます。
梅田耕太郎さんの優しさを育てたご両親、
そして梅田さんが愛した奥様、
コメントを読んでいくと、
どうして梅田耕太郎さんが
命を落とさなければならないのかと
ますます悲しみが深まります。
改めて梅田耕太郎さんの
ご冥福を心よりお祈りいたします。
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