【福岡】親不孝通りが元通りに!親「富」孝には馴染めず表記を改め通りの繁栄に再起をかける

親不孝通りはやっぱり親不孝?名前は有名だが客足遠のき、衰退の一途をたどる

福岡の有名な通りに「親不孝通り」というストリートがあります。

天神3丁目と舞鶴1丁目の間に伸びる全長約400mの通りには、かつて大手予備校があったため、

「親不孝通り」として広く福岡市民に知られています。

「親不孝」というネーミングはユニークで覚えやすいため、長年使用されてきました。

17年前に「親富孝」と真ん中の「不」の字に「富」を充てることで、

通りのイメージアップを図ろうとしましたが、

この度また「親不孝」に戻す決断をしたようです。

いったいどんな経緯があったのでしょうか。

現在の通りの様子と合わせて調べてみました。

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親不孝ではなく親に「富」を与えて欲しい?42年の親不孝通りの歴史について

「親不孝通り」と呼ばれ始めたのは、昭和51年頃。

福岡市の繁華街天神地区にある「親不孝通り」は、大手予備校(水城学園・九州英数学館)があったため、

かつて予備校生などを中心に若者でにぎわっていました。

近くには学生たちの胃袋を満たすため飲食店や喫茶店、時には息抜きできるようにとゲームセンターが乱立。

加えて居酒屋やバー、カラオケボックスなどの娯楽施設も立ち並ぶようになり、

若者の集まる通り、そして次第に夜の街へと変貌していきました。

またバブル期には九州最大級のディスコ「マリアクラブ」が開店。

同時期にストリートミュージシャンの聖地にもなり若者の街として全国に知られるようになりました。

通りが名前がどんどん有名になり、増々若者が集まる街になりました。
       「親不孝(通り)は楽しい場所」

若者の集まる繁華街として賑わう一方で暴行や薬物などの犯罪なども増加しました。

1997年(平成9年)に地元警察がこの地区を重点的に監視して100人以上を補導。

呆れたことにそのうちの何人かが「親不孝通り」の名に惹かれてやってきたと答えたそうです。

そもそも「親不孝通り」という名は通称で、喫茶店のオーナーが遊びに来る予備校生に対し

    「(浪人生なのに勉強せずに遊ぶ)親不孝者ばかり来るから親不孝通りやな」

と冗談で言ったことが発生の由来だそうです。

やがてこの呼び方が自然と定着してゆき、観光マップにも記載されるようになっていきます。

自然発生的に生まれた通称名であったこの呼び名は、世代の若者に曲解され、

「親不孝通り」という名称がイメージが悪く犯罪の誘発の一因となっているという声が多くの住民から上がり、

警察署が福岡市に「親不孝通り」の名称を使わないようにと要請。

これを受けた福岡市は、同じ年の1997年(平成9年)のうちに観光パンフレットから「親不孝通り」の名称を削除し、

代わりに「天神よろず町通り」と記載。

本来の「天神万町通り」の名称を浸透させようと福岡市や通り沿いの商店が

「親不孝通り」と書かれた看板等を撤去され、

長年馴れ親しんできた名前が削除された地元民にはまったく馴染みがなく浸透しませんでした。

その後「よろず町通り」という名称を経て、論争の末に2000年(平成12年)に慣れ親しんだ「オヤフコウ」の発音を残し

「親富孝通り」と改称されました。

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これがいまから約17年前のこと。

「不」の字を「富」とすることで、町のイメージアップを図ってきました。

       「親不孝通り」→「親富孝通り」

これにより富み栄える街へとの期待が高まりました。

この17年もの間、街はイメージアップに奔走してきました。

現在でも通りにはクラブやライブハウス、ダンススクール、ドラァグクイーンの劇場などが営業していますが、

シャッターが降りた店舗も目立ち、天神の中心というイメージはありません。

若者は親不孝通りと繋がる「天神西通り」に流れ、周辺のデパートとあわせて毎日多くの若者で溢れています。

福岡の中心地から完全に外れた「親富孝通り」。

2015年頃から、地元商店主たちがかつての愛着のある名称で足が遠のいた若者を取り戻そうと、

再び「親不孝通り」という旧称を復活させる動きが高まってきます。

旧称復活に動いた天神3丁目町内会長の吉永拓哉さんは

「昔から親不孝者と自覚しながら(DJやダンサー等の)夢を追い掛ける若者を受け入れ、応援してきた街だった。
これからもそうありたい」

と述べています。

また、高島宗一郎福岡市長も

「猥雑な部分もまた街の魅力。個人的にはいいんじゃないかと思う」

と名称復活に前向きな姿勢をとります。

西日本新聞が福岡市界隈の市民50人に聞き取り調査をしたところ、

親不孝派26人、親富孝派20人、どちらでも良いが4人との結果。

以下それぞれの意見です。

≪親不孝派≫
「世間の話題となり、集客につながるのではないか」
「名前の由来は話のネタになる」
「かつては韓国から遊びに来た友人に面白おかしく説明できたのに」

≪親富孝派≫
「『不』だと、本当に親不孝をしている気分になっちゃう」
「(親不孝通りの名称は)いわくつきで昔、事件でもあったのかと思っていた」
「せっかく縁起のいい字なのに、戻したらまた治安が悪くなりそう」

そして2017年2月

ついに地域の住民や商店の経営者などでつくる協議会が元の表記に戻すことを決め、

12月26日から通りにある街路灯の表示板の付け替え作業が始まりました。

地元の人たちは表示板を削って当て字の表記を消したあと、新しいステッカーを貼っていきます。

ステッカーの文字は、ダウン症の書家でNHK大河ドラマの題字を手がけたこともある金澤翔子さんが担当。

来月中には通りにある38すべての街路灯の表示板を付け替えるということです。

また酔客が座り込む花壇を撤去して歩道を拡大し、街路樹も枝葉が広がらない木に植え替えて

見通しをよくするなどバリアフリー化する計画中だそうです。

親不孝通り街路灯運営委員会の吉永拓哉会長は

「親不孝通りという名称に愛着を持つ人たちは多く、元の名称に戻すことで町のにぎわいを取り戻したい」

と話していました。

ちなみに、親不孝通りの名前の由来となった2つの予備校は、少子化と、

その後相次いで福岡に進出した大手全国区予備校(河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備学校など)の影響を受け

閉校または予備校としての営業を終了しています。

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親不孝通りに客足は戻るのか?

飲食街やショーパブなどすっかり「夜の街」になっている現在の「親不孝通り」。

朝方にはゴミが散乱し、とても綺麗なイメージはありません。

通りにライブハウスやアニメ関係の店もあり一部のファンの取り込みは出来ているようですが、わざわざ行く「通り」

ではないのが現実のようです。

加えて、通りに面している交番やその裏にある公園はなんだかとても行きづらい場所。

怖いイメージもあります。

しかしながら、近年は割安な地価に目をつけて、小さいながらも店を持ちたい人が集まるエリアでもあるようです。

夜の街のイメージを脱却し、誰もが楽しめる明るい街へ。

これからの街の発展に大いに期待したいです。

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