【病気のデパートと言われた桂歌丸さん、不死鳥の病気とは一体?】
落語家の桂歌丸さん(享年81)の死去は、
歌丸さんを偲ぶ多くの落語会メンバー、芸能界、
世間の人々に衝撃を与えました。
中でも、歌丸さんのライフワークともいえる
日本テレビ「笑点」には、初回放送から勇退まで50年に渡って出演。
共演した落語家たちは追悼コメントを発表しました。
林家木久扇、三遊亭小遊三、三遊亭円楽(楽太郎)は何と語ったのか?
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桂歌丸、自虐的にいじった自身の健康状態
俺らの世代だと
笑点は先代の圓楽師匠と現圓楽(楽太郎)
三遊亭小遊三、三遊亭好楽
林家木久扇(木久蔵)
そして山田くんと歌丸師匠なんだよ…
— キムさん (@kumasanhoihoi29) 2018年7月2日
引用:Twitter
元々細身だった桂歌丸さんは、
晩年肺に空気を送るための酸素チューブが手放せず、
「これでしゃべれなくなったら、しゃれこうべですからね」
と自虐的に語るほど、体調は良いとは言えない様子で、
公表されていた体重(目方)は36㎏でした。
2016年に勇退した日本テレビ「笑点」には、
初回放送から50年出演してきた、歴史の立役者。
笑点がこれだけ愛された番組になったのは、
桂歌丸さんの功績が多大にあるといえますよね。
そんな29歳から出演し続けた笑点、
卒業時には79歳だったにも関わらず、
「あっという間だった」
とコメントしたのは、歌丸さんらしいエピソードだと思います。
笑点メンバーは、歌丸さんの細い体から放たれる
エネルギーやパワーを間近で感じていたようです。
歌丸さんが偉大な落語家として君臨していたのは、
決して奢らず、偉ぶらず、後輩にも熱心に指導をしてきたこと
それ以外にも、
何度も病気から立ち直り、「不死鳥」と呼ばれた
その生命力と落語に賭ける思いの強さがあったようです。
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桂歌丸,病気のデパートとは?
では、桂歌丸さんの患った「病気のデパート」
その内容とは?
50年出演した「笑点」の中でも、
病気療養のため、出演休止した時期がありました。
それは、
・病気療養のため休んだ1985年(昭和60年)4月7日・4月14日、
・腰部脊柱管狭窄症の手術・療養のため休んだ2008年(平成20年)6月29日・7月6日
・肺炎に伴う入院が長引いたことに伴う休演となった2010年(平成22年)3月7日・3月14日
・肋骨骨折他で休演した2014年(平成26年)5月11日 – 6月1日
・インフルエンザによる休養で休演した2015年(平成27年)1月25日・2月1日
・手術後の体調不良で休演した2015年7月12日 – 9月6日
と合計6回の病気や術後の体調不良などで出演しない時期がありました。
実際は、収録時期などを調整して、
ここに列記した期間より長く病と闘っていた可能性はあります。
毎週お元気な姿を見せてくれた桂歌丸さんですが、
「あたしは、最後に目をつぶるまでやる覚悟です」
と語っている通り、
「死ぬまで現役、死ぬまで高座」
に拘った希有な噺家であったことが伺えます。
歌丸さんの最初の病気は、
1973年(昭和48年)の脱腸。
その後2001年(平成13年)にも急性腹膜炎
と2度開腹手術を受けているのですが、
この時は、番組をお休みすることはありませんでした。
最初の脱腸の時は、
手術直後に神奈川県伊勢原市での公開録画に参加し、
看護師同行の上、
体調万全とは言い難い中収録に臨んだようです。
(この伊勢原での公録の模様を放送した『笑点』は40.5%の歴代最高視聴率をマーク)
また急性腹膜炎の手術を受けた直後の2001年(平成13年)2月11日放送では、
積み上げた座布団への昇降が困難という理由で
桂歌丸さんは座布団に座らず、
自身の指定位置の前に座布団を重ねていくスタイルを採用。
2006年の腰部脊柱管狭窄症
2012年に腰部脊柱管狭窄症
2度患ったこの病気は収録がない時期を選び手術。
2009年(平成21年)には50年以上に亘る喫煙の結果慢性閉塞性肺疾患が原因とされる
肺気腫に伴う感染増悪を発症。
缶ピースを1日40本以上吸う愛煙家だった歌丸さん
このときも収録のない時期を選び、笑点に穴を開けることはありませんでした。
しかし、この後から、体調不良を隠せなくなったようです。
2010年(平成22年)には、今度は軽い肺炎を起こし入院。
この時は、愛知県みよし市での公演が控えており、
収録の前日に退院する見通しでしたが、入院延期により出演出来なくなりました。
中止や欠席ではなく、歌丸さんの回復を待って、延期の処置をとったようです。
2014年(平成26年)3月29日、慢性閉塞性肺疾患の悪化で入院。
一旦は5月1日に高座復帰するものの、帯状疱疹で再入院し、5月22日に退院。
この頃から、公演には車椅子で楽屋入りし、
酸素吸入器を付ける様子も目撃されるなど万全な体調ではなかった歌丸さん。
この頃、引退を考えていたようですが、
それをとどめたのは恐妻と呼ばれる
妻、冨士子さんの一言。
「あなたが落語辞めたら張り合いがなくなる」
落語を愛している歌丸さんを愛した妻ならではの言葉でしょうね。
深いいとはこのことだと思います。
2015年6月1日、背部褥瘡(はいぶじょくそう)。
この頃から、入院生活が長引き、
高座などに復帰するものの、正座が苦しいと見台を使用していました。
そしてついに2016年4月30日、
同年5月に『笑点』が放送開始50周年を迎えることを機に、
歌丸さんは「笑点卒業(勇退)」決断します。
これは、番組初の終身名誉司会になった瞬間でもありました。
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三遊亭円楽合掌,林家木久扇絶句,三遊亭小遊三涙目,笑点メンバーのコメントとは?
[逝去]桂歌丸 最後まで高座に 三遊亭小遊三、春風亭昇太らがコメント https://t.co/CH8kN9Qo0x#逝去、#桂歌丸、#最後まで高座に、#三遊亭小遊三、#春風亭昇太らがコメント
— hisa (@_t__hisa) 2018年7月3日
引用:Twitter
笑点では、揺るぎない いじられキャラであった歌丸さん、
歌丸さんと罵倒合戦を繰り広げていたのは、
その後6代目三遊亭圓楽(楽太郎)(68)さんです。
【笑点は大喜利30SP】
只今放送中。
円楽師匠に大注目。
昇太師匠の愛を感じます。https://t.co/VstLGvGtUH
お見逃し無く! pic.twitter.com/JLALVZgSuP— ひろ (@hiro13hiro13) 2016年7月3日
引用:Twitter
歌丸さんより年下で落語家としても
キャリアは短いのですが、
なぜ大先輩の歌丸さんをイジルことになったのでしょうか。
6代目円楽(当時:楽太郎)さんが笑点メンバーになったのは、1977年。
まだ22歳の時でした。
この頃でしょうか。
いまと同じ紫色の着物で、面影もありますが、
長髪だとやはり若いですね。
ちなみに動画もありました。
引用:YouTube
1983年の「笑点」なので、35年前です。
当時楽太郎さんだった円楽さんは33歳。
歌丸さん46歳です。
新人時代にネタに悩んでいた6代目円楽(当時:楽太郎)さんに対し、
後輩思いの歌丸さんは
「(ネタは)俺のことでいいから」
とアドバイスしたようです。
番組を見ていれば分かりますが、
二人は実際は仲が良く、
このやりとりは、番組の「お決まり」でした。
引用:YouTube
歌丸さんの死を受けて、
気になるのは、円楽さんがどのようなコメントを出したのか気になりますね。
回復してると安心したばかりでしたので言葉になりません。歌丸師匠と過ごした楽屋、旅先、ご自宅、沢山思い出が多すぎて、どこを喋っても一片です。だから私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出寿命皆様もそれぞれの思い出の中に歌丸師匠を生かしておいて下さいね。本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで側に置いて下さってありがとうございました。
頼る人が居なくなりました… 合掌 六代目円楽」
他の笑点メンバーのコメントは
引用:https://marumaru7202.momorinn.xyz/
歌丸師匠に出会えましたことは私の落語家人生にとって宝物となりました。もっともっと落語のお話もしたかったです。残念でなりません。
歌丸師匠、今まで落語界のため、笑点のため、本当に本当にありがとうございました。最後の最後まで落語に向き合った師匠は格好よかったです。ご冥福をお祈りいたします」
『慌てず、急がず、自分のペースで』『ローマと一緒、大喜利も1日にしてならず』、優しく鋭い指南もして下さいました。
師匠、本当に本当にありがとうございました。自分ももっともっと精進いたします。ご冥福をお祈りいたします」
また桂歌丸さんが2016年に笑点を卒業(勇退)した後、
司会を引き継いだ春風亭昇太さんには、
「舞台に並んだら全員同格。上も下もない」
と声掛けをしているようです。
これは、若手落語家にも、ベテラン落語家に気後れせず、
自分の持ち味を精一杯出しなさいという
桂歌丸師匠の愛情あふれる優しさですよね。
(news every.」OAより抜粋)
また3日に会見をした
引用:YouTube
春風亭昇太さんや三遊亭小遊三さん、桂米助さん、桂歌春さんが
歌丸さんを偲びました。
特徴的なのは、誰も涙を見せなかったこと。
三遊亭小遊三さんは、メガネの奥が涙目だったような気もしますが、
泣いて故人を偲ぶのではなく、
十分に病気を戦った桂歌丸さんを送り出してあげようとする
後輩としての気遣いが見て取れました。
ここまで、笑点メンバーのコメントや動画を紹介してきましたが、
唯一、ご紹介できていないメンバーがいます。
それは林家木久扇さん。
本人の希望によりコメントを控えたということです。
悲しくてもコメントを発表した円楽さんほか笑点メンバーとは対照的に
絶句した林家木久扇さん。
歌丸さんと一番年齢が近い、林家木久扇さんは80歳。
ご自身も咽頭がんなどを患っていることから、
盟友の死が受け止められない様子のようです。
笑点出演者の出演時期年表
日本テレビ『笑点』の大喜利コーナーに出演された主なメンバーを年表にしました。2018年7月に桂歌丸さんが亡くなられたことで、笑点発足当初からの出演者で存命なのは林家こん平さん1人に、また笑点関係者の最年長者は林家木久扇さんになりました。 pic.twitter.com/X0oaMhzmRV— ごくらくらくご (@gokurakurakugo) 2018年7月2日
本日、笑点でお馴染みの林家木久扇師匠ですが……
……
…
大変お元気で安心しました!
写真はいつも御中元、御歳暮で送ってくださる木久蔵ラーメン。
夏はつけ麺バージョンです。 pic.twitter.com/t2LCyaQ1FO— 桂 三木助 (@MikioKatura) 2018年7月3日
引用:Twitter
通夜告別式は、近親者のみで行うようですが、
後日お別れの会を、歌丸さんが生まれ育った横浜市で行うと
発表されました。
笑点メンバーは全員揃うと思いますので、
ここでの林家木久扇さんの発言に注目が集まりますね。
桂歌丸さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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