西城秀樹さんが16日11:50頃、横浜市の病院で63歳で亡くなりました。
死因は急性心不全だということです。
2回の脳梗塞を経て、右半身まひでリハビリ中だったと伝えられていた中、
急な訃報。通夜告別式はいつ?葬儀場はどこ? そしてヤングマンで一世風靡した
西城秀樹さんが口パク 舌ぺろぺろってナニ?
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西城秀樹の通夜葬儀日程は?
≪西城秀樹(さいじょうひでき)プロフィール≫
本名:木本 龍雄(きもと・たつお)
生誕 1955年4月13日(63歳)
出身地 日本の旗 日本・広島県広島市東区
学歴 明治大学付属中野高等学校定時制卒業
ジャンル J-POP
職業 歌手、俳優
活動期間 1972年 –
レーベル ビクター音楽産業
(1972年 – 1975年)
RVC
(1975年 – 1987年)
BMGビクター
(1987年 – 1999年)
キングレコード
(1999年)
ポリドール
(1999年 – 2001年)
ユニバーサルミュージック
(2002年 – 2013年)
Battle Cry Sound
(2015年 – )
事務所 アースコーポレーション
公式サイト 西城秀樹オフィシャルサイト
引用:Wikipedia
西城秀樹さんが亡くなったのは横浜の病院
16日23時頃だったようです。
脳梗塞を2003年頃と、2011年ごろに
2度おこしています。
一度ならず、二度までも。
本人は、とてもショックだったと思います。
1度目の2003年当時は、結婚したばかり。
年齢も47歳と若かったので、
ショックは大きかったでしょうが
致命傷にはならなかったようです。
その後、食事や生活スタイルには
最新の注意を払って、
リハビリに励んでいたようです。
当時、インタビューに答えており、
結婚した妻(美紀さん)への感謝、
そして年子の3人の子供たちがまだ幼いため、
頑張らなくちゃいけないと
落ち込んでいる暇はないと
強く断言していた記憶があります。
結婚が2001年。
17歳年下で28歳だった槇原美紀さんとご結婚。
お若い奥様と出会って、3人の子宝に恵まれて
順風満帆、
仕事も絶好調の中での突然の病でした。
体調を崩したのは先月25日頃。
搬送された病院横浜市内の病院に意識不明のまま入院し
約1ヶ月懸命に生きましたが、力尽きて5月16日亡くなったようです。
通夜は今月25日
告別式は翌26日
どちらも都内青山葬儀場で行われるようです。
弔辞は、新御三家の長男役だった野口五郎さんが読むということです。
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ヤングマンが口パク 舌ぺろぺろってナニ?
西城秀樹さんと言えば、たくさんの
ヒット曲がありますが
ものまえなどでも多数使用される
代表曲は、傷だらけのローラやヤングマン
ですよね。
デビューは、
地元広島市で兄とジャズ喫茶で演奏していたところを
スカウトされていたようです。
実家はパチンコ屋さん。
当時10代だったでしょうから、
随分大人びた学生時代だったようですね。
180㎝でイケメン、
音楽までできるのであれば、
モテモテ人生だったと思います。
デビュー後の人気はもちろん高く
郷ひろみさんや、野口五郎さんと新御三家と言われていたようです。
西城秀樹さんを検索すると「口パク 舌ぺろぺろ」という
キーワード表れます。
楽曲全てが、口パクだったのかな?
と誤解を招きそうですが、
調べてみると、
1度目の脳梗塞を2003年に発症して以来、
麻痺が残っていたため、
発音が難しく、
歌手人生は復帰不可能ではないか?
と言われていたところを驚異的なリハビリを経て
その後、FNS歌謡祭で復帰。
見事ヤングマン(YMCA)を披露しました。
この見事な歌いっぷりに
「口パクではないか?」
という声が多数上がったのですが
本人はそれを否定。
生歌であったと証言しました。
また「舌ぺろぺろ」は
治療の一環だったようです。
二度の脳梗塞を発症した後、
右半身の麻痺の他に、
右半身麻痺と声帯の神経も傷ついてしまい
言語障害になってしまったようです。
話したい言葉がうまく話せない
もどかしさはどれほどだったのかと
想像します。
呂律は回らないのは、
下の筋肉の衰え、
そして舌をうまく動かせるようになれば
回復も進むだろうと、
下をぺろぺろと前後などに
動かすことで、
言語障害の回復を試みたようです。
亡くなる直前、
西城秀樹さんがどんな病状であったのかは
分かっていません。
しかし先月25日に体調悪化のため
横浜市内の病院に搬送されたようですので、
病状は思わしくなかったのかもしれません。
西城秀樹さんの在りし日を偲び、
心からご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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