2012年にすい臓がんで亡くなった大女優淡島千景さんが「爆報THEフライデー」で取り上げられます。
宝塚出身の名女優の晩年は、波乱に満ちており、豪華な自宅を売却するほど借金まみれだったといいます。
夫と噂の岸信介や子供の存在、彼女を慕った後輩女優たち、
若いころの顔画像、また借金の理由についても調べてみました。
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目次
淡島千景のプロフィールと経歴、顔画像
【淡島千景(あわしま・ちかげ)プロフィール】
本名 中川 慶子(なかがわ けいこ)
生年月日 1924年2月24日
没年月日 2012年2月16日(87歳没)
出生地 東京府東京市(現在の東京都)[1] 死没地 東京都
職業 女優
ジャンル 歌劇、演劇、劇映画(時代劇・現代劇、トーキー)、テレビドラマ
活動期間 1939年 – 2012年
配偶者 なし
引用:Wikipedia
淡島千景さんが宝塚歌劇団ご出身という噂は事実です。
東京都出身の淡島さんは、成蹊高等女学校卒業後、1939年(昭和14年)に宝塚音楽舞踊学校に入学。
2年の訓練を経て、1941年より宝塚歌劇団に所属します。
当時17歳。
娘役として数々の舞台を踏みます。
芸名の淡島千景は
百人一首の『淡路島通う千鳥の鳴く声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守』から、『淡路千鳥』と名付けられるが、同じような芸名の団員がいたことから、『淡島千景』と芸名を変える
引用:Wikipedia
百人一首から命名されているなんて素敵ですね。
大和撫子らしいとてもきれいなお名前ですよね。
美しいお顔立ちで娘役トップスターとなり、戦中、戦後も慰問として
宝塚歌劇団で大活躍されたそうです。
退団は1950年。当時26歳の淡島さんは、映画界に次の活躍の場を模索しますが、
宝塚歌劇団の看板娘役だったことで、かなり強く引き留められたというエピソードがありました。
退団後は松竹に所属。松竹専属の看板女優として活躍。
第1回ブルーリボン賞を獲得するなど、映画界でも数々の実績を作ります。
その頃のお写真を発見しましたのでご紹介いたします。
引用:アサヒグラフ(1952年8月27日号)
白黒なのが時代を感じますが、お美しいお顔立ちはよくわかります。
1956年フリーとなると、各社の映画に出演。
引用:Wikipedia(残菊物語・共演長谷川一夫 大映)
引用:Wikipedia(「にごりえ」1953年 共演山村聰)
次第に東映の看板女優になっていきます。
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淡島千景の晩年は借金地獄で自宅売却?
順風満帆だった淡島千景さんの女優人生。
晩年は借金地獄だったというのは本当なのでしょうか?
淡島の死後、借金騒動が起こった。内容としては、淡島は浪費家であり、稼いだギャラでさえ残していなかったというものであった。しかし、生前の淡路恵子は、この借金が取り巻きによって作られたものであり、淡島自身は仕事に懸命でそんな事とは無縁であったと証言していた。ただし、淡島の名誉もあり、淡路は「天国で、私がお姉ちゃまに誰と誰がやったかを話す。」と、それ以上の事は語らなかった。
引用:Wikipedia
引用:https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E6%81%B5%E5%AD%90&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjfh6_WjP_ZAhWEqJQKHUcrCDIQ_AUICigB&biw=1280&bih=590#imgrc=DNRFuXV73tXjwM:
淡島千景さんのことを大変慕っていた女優の淡路恵子さんは、淡島さんの浪費家ぶりについて
完全否定していますが、その淡路さんも2014年食道がんのため80歳で亡くなっています。
淡島さんに借金があったことはどうやら事実のようで、
その金額はなんと6000万円のようです。
「千景さんには生前に6000万円近い借金があったんです。自宅を担保に借りているので、誰かが借金を返済しないと、売られてしまうんです。親族だけでなく、弟子たちもよく出入りしていた思い出の家なので、なんとか残したいと思っているのですが…」
引用:ニュースポストセブン
どうやら淡島さんの浪費癖というのは、
事実とは異なるようで、淡島さんのギャラなどお金の管理は知り合いに任せっきりで無頓着だったようです。
この知り合いというのが、淡島さんの宝塚に所属していた時からの古くからの付き合いがある人。
淡島さんが「お母さん」と慕うほどかなり年上の女性だということです。
この女性が、お金に無頓着だった淡島さんの知らないところで、熱海でホテルを経営したり
また売却したりで資金繰りに困り大赤字を出したというのが真相のようです。
この女性は1968年に亡くなっており、淡島さんのお金の管理は女性の息子に引き継がれます。
淡島さんはこの息子を弟分のように大変かわいがったといいますから、
亡くなった時期などを考えると女性は実の母親くらい年の差があったのでしょうね。
女性の息子は、自分で会社を興し、淡島さんのマネージメントをその会社で行うようになります。
この間ずっと淡島さんはお金の管理をこの親子に任せっきりだったようです。
2010年に息子も亡くなり、そこで初めて自分のお金がほとんどないことを知ったといいます。
どうしていいかわからず狼狽した淡島さんだったが、そこで相談したのが、テレビプロデューサーの石井ふく子さんだった。石井さんに、その件について尋ねると、「税理士さんを紹介しただけで、その後のことはわからない」という。前出・淡島さんの知人はこう語る。
「親族にも打ち明けてくれなかったので、“なんで石井さんなの”ってみんな思ったみたいです。石井さんも何とかしようと税理士さんを紹介して、結局そのかたの指示であの自宅を担保に入れて、お金を工面することにしたんです」
都内でも有数の高級住宅街に建つ3階建ての白色煉瓦造りの一戸建て。親族や弟子たちが愛した淡島さんの自宅は、このままでは売却も秒読みの状況だという。
引用:ニュースポストジャパン
「お母さん」と慕う女性の息子が亡くなって2年後に淡島さんは亡くなりますが、
お金が底をついているという晩年、85歳~87歳の間は、金銭面で大変苦労したようです。
生涯現役を貫いたといわれている淡島千景さんですが、亡くなる直前まで働かなくてはならない理由が
ここにあったようです。
亡くなる1年前に「渡る世間は鬼ばかり」に出演されます。
旅館の大女将役でしたが、この名作ドラマのプロデューサーは石井ふくこさんですよね。
淡島さんに仕事を与えて手を差し伸べたと言えます。
このドラマの収録中に体調不良を訴え、すい臓がんが見つかりますが、
淡島さんは病院から収録現場まで通ったという根性を見せました。
病名については親族の意向で淡島さん本人に告知されることはありませんでしたが、
がんのステージは4だったといいます。
87歳という年齢を考えると、相当な根性で役を務めあげたといえます。
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岸信介が夫って本当なの?
大女優の人生を垣間見てきましたが、
結婚したか、また恋愛の詳細が語られていません。
結論からいうと、淡島千景さんは生涯独身を貫いたといいます。
宝塚歌劇団を退団後、映画界でもその美貌と確かな演技で常に第一線を走り抜けた昭和の大女優は
おそらく恋愛より仕事にのめりこんだのではないでしょうか。
では、岸信介さんとの関係はどうなのでしょうか?
調べてみますと、どうやらかつての内閣総理大臣岸信介(きし・のぶすけ 第56、57代)、
そしてその弟の佐藤栄作総理(第61~63代)と
愛人関係だったのでは?という情報がありました。
このことは噂レベルになっていて、真相は不明です。
岸元総理は淡島千景さんの28歳年上、佐藤栄作元総理は淡島さんの23歳年上。
少し年齢差はありますが、恋愛することは無理ではない年齢差でしょうか。
(岸信介元総理と実弟の佐藤栄作元総理の苗字が異なるのは、
岸信介さんの父が婿養子であり、父の実家「岸」家に中3のときの時養子となったからです。)
家族や実子がいない淡島千景さんを送り出したのは、
甥である中川賢也さん(当時48歳)でした。
女優としての最後を綺麗に着飾って送り出したいと、遺体に
95年に勲四等宝冠章を受章した際に着ていた水色の着物を着せたといいます。
天国で自分の晩年の波乱な人生がテレビで特集されることを、
淡島千景さんはどのように思っているのでしょうか。
淡島千景さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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