92歳の脚本家、橋田壽賀子は既に引退し安楽死宣言していた?
『渡る世間は鬼ばかり』や『おしん』
など、数々のヒット作品を生み出した
脚本家橋田壽賀子さんが、『直撃!シンソウ坂上』
に登場されます。
ホームドラマを丁寧に描く橋田壽賀子さんは
どんな現在を送っており、
夫や子供はどんな家族なのでしょうか。
橋田壽賀子賞は、夫から橋田壽賀子さんへの贈り物?
誕生秘話は?
熱海の自宅で悠々自適な生活をしていた?
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目次
橋田壽賀子、東大進学で学者希望だった意外な経歴とは?
『おんな太閤記』『おしん』
『春日局』『渡る世間は鬼ばかり』など
数々のヒットドラマを生み出してきた
脚本家・橋田壽賀子さんは現在
どのような生活を送っているのでしょうか。
本名:岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)
誕生日:1925年5月10日
年齢:93歳
出身地:大阪府堺市西区
生まれ:旧京城府(現:大韓民国)
学歴:大阪府立堺高等女學校(現:大阪府立泉陽高等学校)
⇒日本女子大学文学部国文学科卒業
【主な作品】
テレビドラマ:
『愛と死をみつめて』
『おんな太閤記』
『おしん』
『春日局』
『渡る世間は鬼ばかり』 など
【受賞】
NHK放送文化大賞:1979年(昭和54年)
菊池寛賞:1984年(昭和59年)
モンブラン国際文化大賞:2000年(平成12年)など
「橋田賞」創設者
紫綬褒章:1988年(昭和63年)、
勲三等瑞宝章:2004年(昭和16年)受章、
文化功労者:2015年(平成27年)
長くご活躍されていることは
存じておりますが、92歳なんですね。
同世代の森光子さんが、結婚せずに
女優として人生を全うしていますが、
女性が仕事をすることを貫くことは
大変だったと語っていました。
橋田壽賀子さんの場合はどうなのでしょうか。
橋田壽賀子さんは韓国ソウルで生まれています。
韓国は、日本統治時代でした。
1925年(大正14年)
京城(現:大韓民国・ソウル)で
旧大日本帝国外地生まれの日本人として誕生。
9歳になるまで朝鮮で幼少期を過ごしました。
その後帰国し、
大阪府立堺高等女學校(現:大阪府立泉陽高等学校)
日本女子大学文学部国文学科と進学します。
まだ大学に進学する女性は珍しい時代。
橋田壽賀子さんの生まれた
ご家族のことは詳しく明かされていませんが、
育った大阪府堺市西区から上京し
日本女子大学に進学していることを考えると
かなり裕福な家だったと思います。
優秀な学生だった橋田壽賀子さんは
更に、日本女子大学進学後、
学者になることを夢見て
東京大学を受験しますが、
東大受験に失敗したことで
進路変更。
早稲田大学第二文学部演劇専修
入学し、中退しています。
学者志望から演劇の世界へと
大胆な進路変更だと思いますが、
橋田壽賀子さんが目指していたのは
演じる側ではなく、執筆側。
早稲田大学在学中には
学生劇団「小羊座」に入って
役者を務めていましたが、
久板栄二郎さんの脚本塾に通って
演劇の執筆を始めたことが
現在の仕事への足がかりになったようです。
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橋田壽賀子、働く女性が珍しい時代をどうやって生き抜いた?
24歳の時、松竹に入社して脚本部所属に
配属されます。
松竹初めての女性社員だったそうです。
最初の脚本の仕事は、
1950年(昭和25年)公開の映画
『長崎の鐘』の手伝いでしたが、
その2年後には単独で脚本を執筆します。
デビュー作は、
1952年(昭和27年)公開の映画『郷愁』
(監督:岩間鶴夫、主演:岸惠子)でした。
仕事が面白くなってきは新人時代でしたが、
34歳の時、秘書への異動を
命じられたのをきっかけに
松竹を退職し、独立作家となるのです。
とはいえ、フリーで活躍するのは難しく
3年間ほどはテレビ局へ
原稿を売り込みに行っても採用されず
苦労したようですが、
小説や漫画の原作を書くなどして
生計を立てていたようです。
39歳の時、
『袋を渡せば』で作家デビュー。
同年、東芝日曜劇場『愛と死をみつめて』
の脚本が話題となり、テレビドラマの脚本家として
評価が高まったようです。
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結婚した夫や子供はどうしてる?
仕事に没頭していた橋田壽賀子さん。
結婚したのは、41歳の時でした。
お相手は、当時TBSの企画課長で
プロデューサーだった
岩崎嘉一さん。
引用: 朝日新聞
4歳年下の旦那様です。
いまでこそ、年上女房は珍しくありませんが
橋田壽賀子さんの生きた時代では
とっても珍しかったのではないでしょうか。
しかも、新婦41歳、新郎37歳の
決して早い結婚ではありません。
いまの時代でも晩婚だと
いわれる年齢ですよね。
年下の夫(旦那様)は亭主関白だったようで、
と言い聞かせられたという
エピソードがあります。
時代背景もあるでしょうが、
橋田壽賀子さんは、
夫岩崎嘉一さんのご両親が
年上の女性はダメだと拒否反応を
示したため、
4歳サバ読みしたようです。
41歳で結婚した理由の一つに
夫岩崎嘉一さんが次男で
嫁姑問題が緩和されるという
期待もあったでしょうが、
実際は、夫岩崎嘉一さんはマザコン気味。
夫岩崎嘉一さんの
実家があった静岡県沼津市に
新居を構えたため、
姑は、度々新居をを訪問したようです。
マザコンで更に子離れできないタイプの
お姑さんだったのでしょうか。
橋田壽賀子さんの作る料理に
などのダメ出しも多々あったようです。
嫁姑問題は、橋田壽賀子さんが描く、
『渡る世間は鬼ばかり』でも
赤城春江さんと泉ピン子さんで
丁寧に描かれていますよね。
リアルな体験と知識があるからこそ
わたしたち視聴者も熱心に
ドラマに引き込まれたのでしょうね。
橋田壽賀子さんに子供はいないようです。
そして、愛した旦那様も
実は早世しています。
夫岩崎嘉一さんが亡くなったのは
29年前、1989年9月27日。
享年60歳でした。
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橋田壽賀子賞は夫からは妻へのプレゼント?
人望厚き熱血のテレビマンだった
夫岩崎嘉一さんは、
定年退職後「岩崎企画」を立ち上げ、
橋田賞の創設に動いていましたが
そんな最中、1988年の秋に肺がんが
見つかるのです。
橋田壽賀子さんは、夫に肺がんの告知をしなかったようです。
いまから約30年前、
当時は確かにガン告知されると
絶望の淵に立たされ、死を覚悟した時代ですよね。
テレビマンとして定年まで働き、
退職後は、自分や母親(姑)のために
仕事も家事も手を抜かず
尽くしてくれた橋田壽賀子さんのために
『橋田賞』創設のために動いていたなんて
涙ものです。
一部情報では、夫岩崎嘉一さんの
遺産は3億円ともいわれています。
その遺産で創設された『橋田賞』(橋田財団)は
橋田壽賀子さんが認める次世代の
俳優さん女優さんに毎年授与されています。
授賞式のに立ち会うたびに、
橋田壽賀子さんは、夫岩崎嘉一さんの
愛情を感じているのではないでしょうか。
現在は、熱海に自宅を移し、
終活も始めているという
橋田壽賀子さん。
安楽死宣言もしており、
いつ亡くなってもいいようにと
仕事を含めた生前整理も
行っているようです。
『渡る世間は鬼ばかり』で
名脇役を演じていた、盟友
森光子さんや赤木春江さんが亡くなったいま
寂しい思いをしているかもしれませんね。
死因は公表されていませんが、急性リンパ腫で2月から都内で治療。
翌3月からは、熱海の自宅に戻り療養していました。
ご冥福を心よりお祈り致します。
最後までお読みいただき有難うございます。
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