桜井亜衣ちゃん殺害動機は自分になつかなかった!継父 堀田伸輔逮捕!
実子でないから愛情がなかった?
また養父による暴行容疑で、
幼い女の子が殺害されました。
被害者は当時11ヶ月の
桜井亜衣(さくらいあい)ちゃん。
結婚した嫁の連れ子でした。
どういった家庭環境で
桜井亜衣(さくらいあい)ちゃんは
生活していたのでしょうか。
ご存命であれば11歳のはず。
ランドセルを背負っているはずです。
堀田伸輔(ほったしんすけ)容疑者は
逮捕までの12年間、どのように生活していたのでしょうか?
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堀田伸輔逮捕,桜井亜衣ちゃんの死因は頭蓋骨骨折
継父や継母による殺害は、
本当に心が痛みます。
当時11ヶ月だった桜井亜衣ちゃんの死の真相が
12年経って明らかになりました。
逮捕されたのは、桜井亜衣ちゃんの
養父(継父)だった堀田伸輔容疑者(42)です。
容疑者と被害者をまとめてみました。
年齢:42歳
職業:自称会社員
住所:相模原市南区当麻(たいま)
年齢:11ヶ月(当時)
関係:堀田伸輔容疑者の結婚相手(嫁)の連れ子
住所:東京都新宿区(当時)
いまから12年前、30歳の時に
堀田伸輔容疑者は結婚しています。
その嫁には、前の旦那との間に子供が
おり、その子供(娘)は11ヶ月でした。
名前は、桜井亜衣ちゃん。
桜井亜衣ちゃんの顔画像が報道機関に
公開されないのは、残された母親が
写真提供を拒否でしているからではないでしょうか。
桜井亜衣ちゃんの死因は
頭蓋骨骨折でした。
病院に運ばれた桜井亜衣ちゃんの
容態を聞かれた堀田伸介容疑者は
と説明しています。
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継父堀田伸輔逮捕,桜井亜衣ちゃん殺害動機は?
事件は、2006年12月30日に
起きています。
頭に強い衝撃を受けた桜井亜衣ちゃんは
生きようと必死に戦いましたが、
約3ヶ月後の2007年3月に
入院していた亡くなっています。
事件当時母親は自宅に不在でした。
母親は体が弱かったらしく、
面倒が見れないという理由で
桜井亜衣ちゃんは2006年の6月に
乳児院に預けられていました。
半年間(桜井亜衣ちゃん生後2ヶ月頃~8ヶ月頃?)
乳児院で預かり、
事件の2週間前の12月15日に、
桜井亜衣ちゃんは自宅に戻りました。
母親の体調が回復したことが理由のようです。
堀田伸介容疑者と母親が
いつ頃結婚したかは明らかになっていませんが
(2006年頃か?)
桜井亜衣ちゃんが母親の元旦那の
子供であると考えると、
二人は新婚であることが考えられます。
桜井亜衣ちゃんが乳児院に
預けられていたその間、
夫婦二人で生活していたと思われます。
体が弱い妻(嫁)をおそらく
堀田伸輔容疑者が懸命に看病し
一刻も早く娘を受け入れることが
出来るように体調を整えることに
全力を傾けていたと思われます。
そんな環境下で、桜井亜衣ちゃんは
やっと自宅に戻ってこれたのに、
どうして養父(継父)の堀田伸輔容疑者に
殺害されたのでしょうか?
逮捕された堀田伸輔容疑者は
と供述しています。
桜井亜衣ちゃんが生まれてすぐの頃、
3人で同居していたのかは不明ですが、
乳児院から戻ってきて、わずか2週間。
まだ1歳にもなっていない桜井亜衣ちゃんは、
人生のほとんどを乳児院で過ごしてきたのですから、
懐かないのは至極当然のことだと思うのですが、
父親としての心構えも気薄だったのでしょうか。
親子関係がとても弱いなと思ってしまいます。
事件当時、母親は不在だったようなので、
桜井亜衣ちゃんは、母親を求めて
泣いていたのかもしれません。
この年齢の乳児は、どうしても父親より
母親の方が好きですので、
それは実子、養子問わない
子供の習性なのですが、
どこか、実子でないからという負い目が
堀田伸輔容疑者にあったならば
とても残念です。
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児童相談所に不手際?日常的暴行!
桜井亜衣ちゃんと堀田伸輔容疑者の苗字が違う理由とは?
調べていくと、桜井亜衣ちゃんは
この母親にとって三女だったようです。
他の2人の子供たちの存在は報道されていないので
もしかしたら、父親側に引き取られていたのかもしれません。
体が弱かったと言われる母親の体調のことも
あるでしょうし、生後すぐの赤ちゃんは
父親より母親の元で育った方がいいと
考えた末の選択だったのかもしれません。
桜井亜衣ちゃんが乳児院に預けられた背景は、
母親が、児童相談所に相談したことがきっかけで、
児童相談所が乳児院に預ける措置をとったようです。
この経緯があるため、母親に面談したり、
家庭訪問したりするなどして慎重に様子を確認し、
育児に問題がないと判断したため
桜井亜衣ちゃんを自宅に戻したようです。
当然、児童相談所は
養父(継父)である堀田伸輔容疑者の
存在も確認していたと思いますが、
桜井亜衣ちゃんが自宅に戻った後も
家庭訪問などをして、事件発生の2日前、
12月28日に措置を正式に解除したようです。
措置解除というのは、母親はもちろん、
養父(継父)である堀田伸輔容疑者が
桜井亜衣ちゃんを育てるのに十分な
体力と経済力、生活力があると
判断されたことを意味するのでしょう。
当然、両親共に暴力の疑いはないと
いうことも含まれていると思われます。
しかし、措置解除の2日後、
堀田伸輔容疑者が桜井亜衣ちゃんに
暴力を振るう事件が起こっています。
暴行の疑いがあると通報したのは
桜井亜衣ちゃんが運ばれた病院からでした。
こたつから落ちた程度では、頭蓋骨骨折のような
重傷にはならないと判断したためです。
桜井亜衣ちゃんは当時わずか生後8ヶ月。
まだ頭蓋骨が柔らかく、これほどの
重傷にはならないようです。
母親は、堀田伸輔容疑者の日常的な暴力を
認識していたようですが、
児童相談所の判断は、
で、母親と児相の認識の食い違いがみられます。
私は、たとえ養父とはいえ、
戸籍上の子供である桜井亜衣ちゃんと
堀田伸輔容疑者が苗字が異なることに
違和感がありました。
最新の情報では、堀田伸輔容疑者は
桜井亜衣ちゃんの母親と、事件から約5年後の
2012年に離婚しているようです。
その上、事件発生の翌月、
2007年1月には、自宅から離れ、
住民票を自宅に残したまま、転居を繰り返し
しばらく行方をくらませていたといいます。
容疑者と被害者の苗字が違う理由は、
母親が再婚したか、旧姓に戻したか
もしくは
堀田容疑者が再婚して、嫁の苗字を
名乗っていることが考えられます。
桜井亜衣ちゃんの『桜井』という苗字は
おそらく事件当時のままでしょうから、
堀田容疑者側が苗字を変えたと考えて
よいと思います。
堀田伸輔容疑者は約5年間
逃亡を図っていた理由は、
のようですが、
5年経ち、もう大丈夫と判断したのでしょうか。
堀田伸輔容疑者の行方を掴んだ警察は
任意で事情聴取を行った際には、
と供述していたようです。
逮捕時、堀田伸輔容疑者は、
桜井亜衣ちゃんの母親ではない別の女性と
同居していたようです。
堀田というのは、この女性の苗字なのかもしれませんね。
12年という歳月が過ぎ、
そのうち、5年間は逃亡していた
堀田伸輔容疑者は、逮捕時には、
容疑をおおむね認め、
と供述しているようです。
桜井亜衣ちゃんは、ご存命であれば
小学校6年生のはず。
どんな素晴らしい未来が桜井亜衣ちゃんを
待っていただろうと考えると
とても悲しいですね。
堀田伸輔容疑者は東京地検に送検されましたが
桜井亜衣ちゃんのために罪を
素直に認めてもらいたいと思います。
桜井亜衣ちゃんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございます。
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