【生田悦子 死因は虚血性心不全 夫村田陽一さんに見守られて、、】
テレビドラマ『白い巨塔』やバラエティー番組『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』
などに出演した女優・生田悦子さんが、7月15日に亡くなっていたと発表されました。
享年71歳。
松竹の美人看板女優として活躍した生田悦子さんが結婚されたのは2005年、57歳の時でした。
夫村田陽一さんとの馴れ初めや、
若い頃は白い巨塔に出演し、田宮二郎さんの妻役を演じる美人女優だった
生田悦子さんの今は、芸能活動を休止で闘病していた?
スポンサーリンク
目次
生田悦子の若い頃は?
生田悦子さんが、71歳でお亡くなりになられたようです。
死因は虚血性心不全。
葬儀はご本人の意向で近親者のみで済ませたようですが、
亡くなってから分かった生田悦子さんの今(晩年)が
かなり衝撃的だったようです。
まずは生田悦子さんのプロフィールを確認していきます。
引用:http://avanamicroinsurance.com/
生年月日:1947年4月8日
没年月日:2018年7月15日
享年:71歳
出生地:福岡県福岡市
学歴:筑紫(ちくし)女学園高等学校
血液型:A型
身長;158cm
体重:45㎏
趣味:パチンコと麻雀
職業:女優
ジャンル テレビドラマ・映画・バラエティ
活動期間 1966年 – 2018年
【主な作品】
映画
『命果てる日まで』(1966年)
テレビドラマ
『白い巨塔』(1978年)
バラエティ
『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』
引用:Wikipedia
芸能界入りのきっかけは、1963年に準ミス平凡に入選したこと。
「平凡」という雑誌があったのです。
自薦か他薦かは不明ですが、応募するということは
少なからず芸能界に興味があったのでしょうね。
当時16歳ですから、そのときはおそらく学業に専念するという
選択をしたのか、
両親の説得に時間を費やしたのでしょうか。
幼少期に、両親が離婚していたようですので、
もしかしたら家計を助ける意味もあったのかもしれません。
松竹に入社したのは、それから3年後の1966年です。
デビュー作品は、同年11月の映画『命果てる日まで』
女優として、映画やテレビドラマで活躍します。
中でも有名なのが、『白い巨塔』(1978年 – 1979年、フジテレビ)
主演は田宮二郎演じる財前五郎の妻、財前杏子を演じ
美人演技派女優の地位を確立していきます。
田宮二郎さんの白い巨塔はコチラです。
⇓⇓
引用:YouTube
その頃の生田悦子さんは、この頃でしょうか。
引用:http://gekkoukamen2010.blog.fc2.com/
ドラマで数々のお母さん役を演じてきた生田悦子さんですが、
代表作は、『白い巨塔』と言われていますので、
この財前杏子役がはまり役だったのでしょうね。
その後、『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』に出演。
引用:http://avanamicroinsurance.com/
番組内で『よせなべトリオ』として活躍しますが、
これは、萩本欽一さんからの直々のオファーだったようです。
松居直美さん(当時14歳)と
小柳みゆきさん(現・小柳友貴美 当時24歳)
「よせなべトリオ」結成。
生田悦子さん(当時35歳)は良いOL役を演じてブレイク、
レコードを出したりもしました。
どんな女優さんがいいのか?
聞かれた欽ちゃんが、
「色っぽい女優さんだと照れるので、生田悦子さんのような人」
とスタッフに告げたところ、
まさかの本人、生田悦子さんが出演することに。
バラエティー番組出演が初めてだった生田悦子さん。
当時は、いまと違って
女優は女優、バラエティーがバラエティーと
きちんと区分けがなされていた頃で、
名のある女優さんがバラエティ番組に出演するというのは
異例中の異例だったようです。
しかし、当時は悩みながら出演していた生田悦子さんも
晩年、この『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』に出演したことは
良い思い出として記憶しており、
人づてに聞いた萩本欽一さん(欽ちゃん)も嬉しかったようです。
スポンサーリンク
生田悦子の今はうつ病と更年期障害?
私が生田悦子で一番思い出があるのは、
なんといってもすたーものまね王座決定戦で、
審査委員席に座っていた淡谷のり子さんが
コロッケさんや清水アキラさんらに辛口批評するのを、
生田悦子さんがかいがいしく隣でサポートするのが
印象的でした。
引用:Twitter
引用:YouTube
おそらく『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』に出演してから、
綺麗な女優さんだけど、大衆的で人気であった生田悦子さんは
女優業だけでなく、バラエティーにも苦手意識なく
出演されていたのではないでしょうか。
しかし、名コンビだった淡谷のり子さんもお亡くなりになって
生田悦子さんの今現在がどのような生活をされていたのでしょうか。
実は、更年期うつによる闘病生活を送っていたことを告白。
積極的にはメディアの前に出ることをしていなかったようですね。
引用:ときめきデイズ
『徹子の部屋』などのトーク番組や雑誌で、
同じく悩める女性向けに、ご自身の赤裸々な体験談を
お話になっていたようです。
晩年の生田悦子さんは、真っ白な白髪ヘアで
テレビに登場されていましたが、
白髪染めを嫌うほど、
素の自分で居続けた珍しい女優さんだったようです。
スポンサーリンク
夫村田陽一とは57歳初婚,石川敏夫が知る旦那の素顔とは?
生田悦子さんに旦那様や子供がいたかなど
家族について気になりますね。
生田悦子さんはご結婚されています。
晩婚だったようで、2005年4月6日、57歳の時のようです。
生田悦子さんの誕生日が4月8日ですので、1歳でも若い時に
ご結婚という流れだったのでしょうか。
相手は、同じ松竹に勤めていた村田陽一さん。
お付き合いは3年ほどあったようです。
生田さんは初婚。
村田陽一さんは離婚歴があり、現在は会社経営者
明るくて人の悪口を一切言わないご主人で、

外見は、サッカー日本代表元監督の岡田武史さん似のようです。
お二人の間に子供はいません。
一部情報で、生田斗真さんが、
生田悦子さんの子供では?と言われていますが
生田斗真さんは生田悦子さんの子供ではありません。
よほどウマが合ったのでしょうか。
出会って3ヶ月後に同棲したようですが、
その時のことを生田悦子さんは
「なんとなくウチに住みついちゃって、いいかなって…」
と語っています。
しかし結婚までは慎重になったのか3年かかっっています。
プロポーズはなかったようで、
彼が婚姻届を持ってきて
「ここに書いて」
と言われたようです。
以前出演した『徹子の部屋』で
結婚理由を聞かれた生田悦子さんは
「人肌が恋しかったし寂しかった」
「1つの家庭、家族が欲しかった」
と話しています。
料理が苦手な生田悦子さんに
優しい旦那様は、インスタントのお味噌汁にも
『悦、今日のお味噌汁は美味しいね!」』
と完食してくれるのだそう。
二人を良く知る人物は、芸能リポーターの石川敏男さん。
石川さんは、松竹OBだったため、
1歳年下だという旦那様と生田悦子さんの
二人の事をよく知っていたとのことです。
しかしながら、お付き合いしていたことは全く知らなかったようで、
『生田さんから“プロポーズされたんですが、彼は石川さんの友達ですよね”って、
ちゃんと報告してくれたんです。
それで、当時出演していたワイドショーで彼女の結婚をスクープすることができた。こ
んな素敵な女性を失うなんて悲しすぎます……』
と振り返っています。
女優がプライベートなことを自ら
芸能リポーターに話すなんてちょっと考えにくいですが、
石川敏男さんとは旧知の仲で、
石川さんの手柄のために優しくリークしてあげたのでしょうね。
石川敏男さんは、生田悦子さんの事を
『彼女は近寄りがたいほどの美人でした。
さっぱりした性格で本当に正直な人。』
語っていますが、本当に
お人柄が伺えます。
かつて共演していた萩本欽一さんは
『もう、生田さんの声を聞けないのは残念ですね。番組が終わってから「私は欽ドンが大好き」っていう、すてきな言葉を人伝に聞きました。それに幸せを感じた。最後にきれいなオチ言ってくれた、粋な女優さんでした。また、話を聞きたいと思っていたんですが、こんなに早くなくなるとは…。生田さんには、感謝したいですね。ご冥福をお祈りします。』
と語っています。
これから松居直美さんや、ものまね四天王など、
生田悦子さんに縁のある人々が
コメントを発表するでしょうね。
なお葬儀は近親者のみで行われ、後日、お別れの会を行うようです。
生田悦子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございます。
スポンサーリンク