芦屋小雁の兄は裸の大将、芦屋雁之助!現在は認知症で嫁の顔も分からない?
兄弟は4人兄弟の3番目
次兄は芦屋雁之助(あしやがんのすけ)
弟は芦屋雁平(あしやがんぺい)の
役者兄弟の真ん中、
芦屋小雁(あしやこがん)さんが
現在認知症と戦っているようです。
結婚歴は3回、2度離婚した恋多き俳優。
元嫁は斉藤とも子で28歳年齢差!
不倫略奪愛だった?
芦谷小雁さんの生い立ちは?
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目次
芦屋小雁,兄弟は芦谷雁之助!
12月7日放送の
「爆報!THE フライデー」に
芦屋小雁(あしやこがん)さんの
特集が組まれます。
現在、芦屋小雁さんは認知症
発症しており、現在の嫁
勇家寛子(ゆうか ひろこ)さんが
看病しているようです。
しかし現在85歳の芦屋小雁(あしやこがん)さん
30歳もの年齢差のある嫁、
勇家寛子(ゆうか ひろこ)さんは
献身的に看病するも
そこには厳しい現実もあるようです。
芦屋小雁さんの経歴を確認していきましょう。
本名:西部秀郎(にしべ ひでお)
生年月日:1933年12月4日
年齢:85歳(2018年12月現在)
出身:京都府京都市
学歴:中学校卒業
身長:155cm
体重:74㎏
趣味:SF映画・ホラー映画収集
所属事務所:小雁倶楽部、さち子プロ
家族:(兄)芦屋雁之助
(弟)芦屋雁平
(姪)西部里菜
引用:Wikipedia
京都市の友禅染工場の家に
男兄弟ばかりの4人兄弟、
その3番目として
生まれた芦屋小雁さん。
本名は、西部秀郎(にしべ ひでお)。
中学中退後、職を転々としていたようですが
絵が好きだったことから、
商業美術の世界に入り、
映画看板などを描く仕事をしていたことも。
しかし、転職は芸人でした。
父親が芸界が好きだった
影響を大きく受け、
漫才師として芸能界デビュー。
当時は、兄の雁之助さんと
地方巡業をしていたようです。
芦谷雁之助さんと組んでいたのは
漫才コンビ「若松ただし・きよし」。
1949年、16歳の時に
芦乃家雁玉に弟子入りし、
「芦乃家雁之助・小雁」の名前を拝命。
しかし、雁之助の発案で「芦屋雁之助・小雁」
に改名して活動します。
徐々に認知度も高まり、
初のテレビのレギュラー番組を持ったのは
1958年、25歳の時、
「やりくりアパート」でした。
翌年、兄弟で出演したテレビ
『番頭はんと丁稚どん』が人気になり、
この頃、製作元と演出側(花登筺)の衝突の代償で
レギュラー俳優茶川一郎が出演NGとなり、
「芦屋雁之助・小雁」兄弟の
末弟、芦屋雁平が出演することに。
引用:Twitter
『芦屋雁之助・小雁』兄弟の
育ての親ともいえる花登筺が
劇団「笑いの王国」を立ち上げ、
大村崑、芦屋雁之助らと共に参加。
≪左端から芦屋小雁、大村崑、芦屋雁之助≫
引用:http://gensun.org/pid/173138
1960年、27歳の時には
兄・雁之助さん、大村崑さんとともに
引用:Wikipedia
3組合同による『テレビ結婚式』を行い、
これが芦谷小雁さん最初の結婚になります。
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元嫁斎藤とも子との出会いは不倫だった!
良好な関係を築いていた
演出家花登筺さんと
『芦屋雁之助・小雁』兄弟ですが
決別するときがきます。
1964年、芦谷小雁さん31歳の時でした。
これにより劇団「笑いの王国」は解散。
同年、劇団「喜劇座」を結成し、
5年間活動します。
その後、吉本新喜劇デビューもするなど
喜劇役者一本の人生を送っています。
実は、芦谷雁之助さんの他に
更にその上に長兄がいることは
あまり知られていません。
唯一、芸人にならなかった長兄は
会社員として就職。
京都の交通局に勤務するのですが
職場の劇団でプロレタリア演劇に
関わっていたようです。
芦屋小雁さんは、
恋多き喜劇役者でもあります。
『テレビ結婚式』した
最初の妻は一般人でした。
子供はその嫁との間に2人。
2人とも息子さんなんだそうです。
しかし、悲しいことに長男は20代で
白血病を発症し既に亡くなっているとのこと。
喜劇役者としては、悲しむ姿を見せられず
ツライ思いをしたのではないでしょうか。
そして次男は芸能事務所を経営しているそうです。
2番目の結婚は、斎藤とも子さん。
引用:日刊ゲンダイ
2人が結婚したのは、1987年1月
当時芦屋小雁さんは53歳、
斉藤とも子さんは25歳、
28歳の年の差夫婦だと
報道は大きく取り上げられました。
斉藤とも子さんは、若手清純派女優として
NHK朝ドラや映画『ひめゆりの塔』で
活躍中でした。
喜劇界のベテランと若手女優の28歳差婚。
1987年1月11日に
神奈川県川崎市のカトリック教会で
内輪での結婚式を挙げて、
16日に記者会見をし
ご覧の通りの幸せな様子です。
と照れながらおのろけ会見だったようです。
2人の出会いのきっかけは、
舞台の共演でした。
結婚の1年半前に、
『フライデー』されており、
斉藤とも子さんの家に出入りする
芦屋小雁さんと斉藤とも子さんの
2ショットが激写されたようです。
このとき、実は芦屋小雁さんは
まだ結婚している身。
つまり不倫だったのですが、
と悪びれる様子がなかったことと、
斉藤とも子さんも、身の潔白を証言。
親子ほどの年齢差のある2人が
『まさか恋愛』とは思わず、
そして芦谷小雁さんには
当時別居中でしたが17年間も連れ添った
妻子もおり、世間は不倫とは
思わなかったようです。
最初の妻とは1960年に結婚していますので
結婚10年目あたりから
別居していたと考えられます。
この『フライデー』報道から
間もなくした1986年暮れ、
別居中の妻と正式離婚し、
斉藤とも子さんとの再婚を決意したようです。
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元嫁斎藤とも子との離婚理由は認知症ではなくホラー離婚?
芦谷小雁さんと斉藤とも子さんですが、
実は2人は離婚しています。
生年月日:1961年3月14日
年齢:57歳
出身:兵庫県神戸市北区
血液型:AB型
家族:(父)医師、(兄弟)妹がひとり
主な出演作品:
1976年:NHKで放映された『明日への追跡』(少年ドラマシリーズ)でデビュー。
1984年:映画『ひめゆりの塔』に出演
斉藤とも子さんとの間には
1男1女の子供も生まれました。
しかし年齢差28歳の夫婦の
結婚生活は8年後の1995年に終了。
離婚原因(離婚理由)は芦谷小雁さんが
多忙なことに加え、
2人の出会いのきっかけにもなった?
ホラー映画を、芦谷小雁さんが
深夜まで視聴する日々が続いたことによる
家族とのすれ違い。
マスコミは「ホラー離婚」と
ネーミングしていました。
しかし、その翌年に
30歳年下の女優の勇家寛子さんと
再々婚しているところを考えると
また、不倫だったのかな?
とも思えます。
勇家寛子さんは当時32歳。
またしても結婚相手は
年の差30歳の若妻。
小雁さんの意外なモテ男っぷりが
話題になりました。
引用:日本タレント名鑑
生年月日:1964年1月5日
年齢:54歳
出身:京都府
血液型:B型
身長:155cm
体重:60kg
活動:1984年~
職業:女優/タレント/方言指導、所作指導
デビュー作:大奥 (テレビ)
【代表作品】:
1987年 京都かるがも病院 (テレビ朝日)
1987年 影の軍団 (フジテレビ)
1992年 裸の大将〜下駄の鳴る丘 (舞台)
1999年 おもちゃ (映画)
【主な出演作品】
(舞台)裸の大将
(映画)関ヶ原 舞妓はレディ おもちゃ
(テレビ)大奥 影の軍団
【京都弁指導】
花戦さ 舞妓はレディ おもちゃ
【所作指導】
関ヶ原 殿利息でござる 駆け込み女と駆けだし男 武士の献立 舞妓はレディ おもちゃ
特技:日舞、スペイン語
趣味:文具、旅行、料理 主人
引用:日本タレント名鑑
いま現在は女優の他
方言指導、所作指導など幅広く
活躍されているようです。
芦谷小雁さんは
2004年から『裸の大将放浪記』舞台版で
兄、芦谷雁之助さんが演じてきた
主役の山下清役を兄に代わり演じてきました。
勇家寛子(ゆうか ひろこ)も
舞台には出演していましたので
おそらく共演がきっかけ
だと思われます。
芦谷小雁さんのお兄さん、
芦谷雁之助さんの代表作、
『裸の大将』を舞台で
出演者として演じられていますので
そういったご縁もあるでしょうね。
趣味に夫と書く当たり、
なかなかのおのろけぶりだと思われます。
現在は、芸能の仕事以外にも
京都のお店(カフェ)「こがん亭 ふわふわ」
のお手伝いや
芦屋小雁さんのお店「こがん亭 里空木」の
お手伝いもされているようです。
12月7日放送の
「爆報!THE フライデー」では
芦屋小雁さんが現在「認知症」
を患っていらっしゃる様子が放送されるようです。
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実録!芸能人の介護施設入居問題
▽日本を代表する名脇役・芦屋小雁に認知症の症状が…
▽小雁を介護施設に預けることを決めた妻
そこにはキレイごとでは済まされない介護の現実が!
趣味が夫と答える嫁、
勇家寛子(ゆうか ひろこ)さんが
どのような決断をしたのか
介護の現実も気になります。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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とも子ちゃんには、ある時は母親のような、ある時は娘のような、そしていつもかわいい奥さんでいて欲しい。