医師家系で兵庫県知事にも出馬していたインテリコラムニスト逝く
コラムニストの勝谷誠彦さんが
28日午前1時48分頃亡くなったと
報道されました。
8月に緊急入院してから、
一度は退院したものの、
生まれ故郷の兵庫県尼崎市で
死去されました。
まだ57歳。
鋭い切り口が持ち味のコメンテーターも
こなすコラムニストは、
現在肝硬変で病気療養中ではないかと
言われていましたが、
死因は高アンモニア血症だったようです。
勝谷誠彦さんの生い立ちは医師家系。
灘中学校⇒灘高校⇒早稲田大学出身で
電通にも入社したインテリを偲びます。
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目次
勝谷誠彦,生い立ちは医師家系で、医師をめざしていた?
コラムニストの勝谷誠彦さんが
28日午前1時48分頃亡くなったと
報道されました。
8月に緊急入院してから、
一度は退院したものの、
生まれ故郷の兵庫県尼崎市で
死去されました。
まだ57歳。
早すぎますよね。
鋭い切り口が持ち味のコメンテーターも
こなすコラムニストは、
現在肝硬変で病気療養中ではないかと
言われていましたが、
死因は高アンモニア血症だったようです。
勝谷誠彦さんの生い立ちを調べてみました。
生年月日:1960年12月6日
死没日: 2018年11月28日
享年: 57歳
出身地: 兵庫県尼崎市
学歴: 尼崎市立七松小学校⇒灘中学校⇒
灘高校⇒早稲田大学第一文学部
前職: 電通⇒文藝春秋
職業: コラムニスト
活動期間: 1985年 – 2018年
昨年は兵庫県知事選にも出馬経験のある
勝谷誠彦さん。
#勝谷誠彦
亡くなられたなんてびっくり知事選でのキャラ変にはびっくりしたな
あの口調 面白かったのに pic.twitter.com/jkpP9jFdDc
— 🆕ラフアンドピース (@Jzcm2XHLkNiqETY) 2018年11月27日
引用:Twitter
兵庫県尼崎市出身で開業医
(立花駅前の勝谷医院)の家に生まれました。
元々は3人兄弟で真ん中の次男坊だったようですが、
長兄は亡くなっているようです。
(弟は大阪大学大学院
医学系研究科臨床遺伝子治療学特任准教授で
内科医の勝谷友宏氏)
灘高校時代には生徒会長を務めるほど
優秀で目立つ生徒だったようですが、
特に数学と英語が苦手で
だったそう。
それでも、学校では教師に
議論を持ちかけるタイプの生徒だったと
回想しています。
地学研究部に所属し全国各地で鉱物を採集するなど
興味は広範囲に及ぶ少年だったようですね。
成績はギリギリだったと語る勝谷誠彦さんですが、
卒業に関しては「私と物理学」という作文を書いて
何とか卒業を認めて貰った経緯もあるようです。
大学進学に関しては、当初は医師を
目指していたようですが、
現役時代に筑波大学医学専門学群の
受験に失敗。
翌年には文転して、
東京大学文科Ⅲ類を受験し不合格。
しかし早稲田大学第一文学部に合格
したため、進学先を早稲田大学に決めたようです。
勝手に進路を決めてしまったため
親に仕送りを打ち切られ、
苦学生だった大学時代、
家庭教師や土方などのアルバイトをして
仕送りなしで生活していたそうです。
当時の夢は小説家。
大学では『早稲田おとめちっくクラブ』
(少女漫画研究会)に所属する一方、
平岡篤頼のゼミで小説を書き、
2年生で専攻の機関紙『蒼生』に小説『栗の花』
『早稲田文学』に小説『金魚』が掲載されるなど
キャリアをスタートさせます。
在学中より、三尋狂人(みひろ・くると)の
ペンネームで主に風俗関連を専門とする
フリーライターとして活動。
当時の収入は、大企業の管理職レベルだったそうです。
大学卒業後、電通に就職したようですが、
すぐに退職。
その後、文藝春秋に入社し
『週刊文春』『マルコポーロ』で
記者として活動します。
勝谷誠彦さんの偉業として
有名なのは、『週刊文春』内で発表した
『コンクリート事件』での
犯人少年グループの実名を報道。
コンクリート事件の犯人の実名などが
公になったのは、勝谷誠彦の取材によるものでした。
少年の名前は伏せられることが
当たり前だったので、衝撃でしたよね。
文藝春秋退社後は
フリーで活動することを選択したようで
編集プロダクション『ブレーメン・ファイブ』を
設立しています。
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勝谷誠彦,現在病気は『劇症肝炎』と発表されていた
勝谷誠彦さんに異変が起きたのは
2018年8月21日。
まえ屈みだと、右脇腹に激痛が走る
激しい腹痛のため病院で診察を受けたところ
アルコール性の劇症肝炎と診断され
そのまま集中治療室に緊急入院。
毎朝配信されていた、
有料配信コラム「勝谷誠彦の××な日々。」も
配信がストップ。
勝谷誠彦さんの現在の病状は?
病気は深刻なものなの?
と読者は心配していました。
約1ヶ月経った今年9月19日、
「勝谷誠彦の××な日々。」は
配信されますが、
その言葉は勝谷誠彦さんではなく、
・高橋ヨロン氏(公式サイトの発行人)
・中川淳一郎氏(ネットニュース編集者)
・T-1氏(勝谷誠彦さんのマネージャー)
の3名がネット配信動画の中で、
勝谷誠彦の病気名が「劇症肝炎」である
と発表。
現在は回復傾向に落ち着いたとしていましたが
一時は身内を呼ばなければならないほど
深刻な病状だったそうです。
今年10月、大病して激痩せしたからズボンがゆるくなったと、配信中にパンツを見せる勝谷誠彦。https://t.co/M7xYov6wNe pic.twitter.com/NBkYNEBqMX
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2018年11月28日
引用:Twitter
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勝谷誠彦,現在病気死因は高アンモニア血症!
クビ理由で酒量増え,余命宣告されていた?
海軍酒場『宜候(ヨーソロ)』での血気酒会にて。
2018-06-16 https://t.co/oXVc1UssUb pic.twitter.com/zRNlYqrODR
— 勝谷誠彦 (@masahikokatsuya) 2018年6月19日
引用:Twitter
こちらは体調不良を訴える前、
今年6月頃の勝谷誠彦さんのTwitterです。
酒瓶を大事そうに抱えていますね。
入院直後の映像では、
腹部は膨らみ、顔はむくみ、黄疸も出て、
かなり深刻な状況だったと思われる
勝谷誠彦さんの病状。
勝谷誠彦さんに元々、病気の予兆や
持病はなかったのでしょうか。
飲酒が大好きだったと言われる
勝谷誠彦さん。
日頃から大量にアルコールを
摂取し続けていたことが病気の要因で
あったと言われています。
本当の病名を知っていながら
わざと伏せていたのか
病状が進行していたのか
気になりますね。
一部報道では「劇症肝炎」と
言われていたことに、違和感を覚え、
正しくは「重症アルコール性肝炎」ではないか?
という医師もいたようです。
劇症肝炎とは、肝臓の細胞が8週間以内のうちに急速かつ急激な障害を受け機能低下を起こした結果、黄疸おうだん(肝臓や血液の異常で皮膚や粘膜が黄色くなること)、出血傾向、精神状態の悪化など肝不全症状が現れる病気です。肝機能障害が生じる原因には、B型肝炎ウイルスを代表とするウイルス、薬剤、自己免疫性肝炎などさまざまなものが含まれます。
劇症肝炎では、短時間のうちに肝臓の細胞が壊死えししてしまい、正常な肝機能が保てなくなってしまいます。
引用:Medical Note
【重症アルコール性肝炎(SAH)】
アルコールによる肝臓への障害の結果、脂肪肝から肝線維症、肝硬変、肝癌に至る慢性肝障害や、肝細胞壊死が前景に出るアルコール性肝炎などを来した状態である。
重症型アルコール性肝炎は発熱、黄疸、腹水など肝不全症状に加え、脳症や消化管出血、感染症、腎不全などを合併しやすく、重篤な経過をたどる病態である
引用:今日の臨床サポート
SAHはアルコール性肝炎のなかで、肝性脳症、肺炎、急性腎不全、消化管出血やエンドトキシン血症を伴う重症の肝炎で、禁酒しても効果は現われず、1ヶ月以内に死の転帰をとる場合があります。最近この疾患の女性患者数に増加傾向がみられますが、その背景には女性の方が男性より少量の飲酒で肝障害が進展すること、女性の社会進出によって女性一人当りの飲酒量が増加傾向を辿っていることが挙げられます。女性がSAHに占める割合は1992~1994年では19%でしたが、1998~2002年で30%になっています。SAHの予後の改善には、早期発見、血漿交換、血液持続濾過透析、白血球除去療法などが早期に実施されなければなりません。
引用:ミノファーゲン製薬
「劇症肝炎」と「重症アルコール性肝炎」の違いとは
「重症アルコール性肝炎」は明らかに飲酒の習慣があり
なおかつ量も大量に摂取したことが影響しているようです。
恐いのは、死の可能性があるということ。
では、勝谷誠彦さんの実際の病状は
どうだったのでしょうか。
有料配信コラム「勝谷誠彦の××な日々。」の
映像の中で伝えられた勝谷誠彦さんの病状は、
腹部が膨らんでいます。
腹部の膨らみの正体は肥大した肝臓。
であり、肝臓が肥大したことで、
そのほかの臓器を圧迫し機能しない
「多臓器不全」の状態にもなっていたようです。
一時は深刻な状態だったと言われる
勝谷誠彦さんは、その結果、
点滴やカテーテルなど、多くの“管”が
体に幾つも繋げられることになったようです。
引用:Twitter
入院初日の勝谷誠彦さんは
ほとんど言葉も発せられない状態。
仲間でさえ、
と絶望したそうです。
また医師も、
とも言われたそうです。
しかし奇跡的に勝谷誠彦さんは復活を見せます。
10日後くらいの映像では、
おかゆを食べるまでに回復し、
1ヶ月後には退院できたようです。
入院前の勝谷誠彦さんは、
飲酒は日常化しており、
その際には、ほとんど食事を
摂ることはなかったようです。
引用:Twitter
夕食が、酒だったのでしょうね。
と語っていますが、
生死の境にいた勝谷誠彦さん、
ましてや入院中に飲酒はもちろん
ダメですから、食生活の乱れを正し、
病院内で規則正しい生活を送ることが
出来たのでしょうね。
次第に回復した勝谷誠彦さんは、
病室にパソコンを持ち込み、
日記を書くようになったそうです。
勝谷誠彦さんにB型肝炎やC型肝炎、肝臓がんなど
持病や可能性はなかったようで、
完全なる飲酒量の問題だと見られています。
生死を彷徨ったほどの勝谷誠彦さんですが、
勝谷誠彦さんは仕事熱心な人。
仕事現場に戻りたいという
強い気力と体力が備わっていたことも
大きかったようです。
ほぼ40年、休肝日なしで
毎日飲んでいたという勝谷誠彦さん。
一時は、レギュラー番組から
クビ宣告されたのでは?という憶測も
出ていましたので、
次第に飲酒量は増え続け、
食事より飲酒という悪循環に
なっていたのでしょうね。

引用:Twitter
入院中に、生死を彷徨った勝谷誠彦さん。
奇跡的に一時は退院するまで回復したとはいえ、
40年間の習慣をすぐに正すのは
難しかったと思います。
おそらく、今後、飲酒をすると
余命が短くなりますよなどの情報は
医師から説明を受けていたのではないでしょうか。
断酒か死か
2択を突き付けられたら、
規則正しい生活、規則正しい食生活
を選ぶしかないでしょうね。
そこから病状が急変し、
57歳というお若い年齢で
亡くなった勝谷誠彦さん。
ズバスバ斬りこむ勝谷誠彦さんの
発言。
私はとても好きでした。
勝谷誠彦さんを追悼するような本も
今後出版されるかもしれませんね。
勝谷誠彦さんFacebook⇒リンク
Facebookの中で、蓮舫さんが登場。
アンチの多い二人として紹介されています。
文藝春秋時代に出会っていたようです。
交友関係の広さが伺えます。
勝谷誠彦さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までお読みいただき有難うございます。
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