渡哲也の現在の病状が心配!弟渡瀬恒彦(72)は2017年胆嚢癌で死去!
石原裕次郎さん亡き後、石原プロを
引っ張ってきた、渡哲也さんの現在は、
酸素吸入器が離せず、外出もままならないと
報道されました。
往年のスターの現在の病状はどうなのでしょうか?
来年の宝酒造『松竹梅』のCMには登場するのか?
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渡哲也,生い立ちは?若い頃はイケメン?デビューまで
石原裕次郎が創設した『石原プロ』の現在の顔、
渡哲也さん(76)。
引用:公式HP
どんな囲み取材にも、渡哲也さんがいるだけで、
石原軍団がピシッともとまっている気がして、
石原裕次郎さん亡き後、31年間
(1987年(昭和62年)7月17日に肝細胞癌のため、52歳で死去)
渡哲也さんが石原プロの二代目社長に就任しています。
(現在は石原プロ相談取締役)
本名 渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)
生年月日 1941年12月28日
年齢 76歳
出生地 島根県能義郡安来町(現・安来市)
出身地 兵庫県淡路島
学歴 淡路町立石屋小学校⇒三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)
⇒青山学院大学経済学部卒業
身長 180cm
血液型 B型
趣味特技 ゴルフ、空手2段、柔道初段、たき火
職業 俳優・歌手
ジャンル 映画・テレビドラマ
活動期間 1964年 –
活動内容 1964年:日活入社
1965年:『あばれ騎士道』
1966年:『愛と死の記録』
1968年:『無頼』
1971年:石原プロ入社
1974年:『勝海舟』
1975年:『仁義の墓場』
1976年:『大都会』
1979年:『西部警察』
1987年:石原プロ社長就任
1996年:『秀吉』
1997年:『誘拐』
2004年:『レディ・ジョーカー』
2005年:紫綬褒章
2009年:『坂の上の雲』
2011年:石原プロ社長辞任
2013年:旭日小綬章
2017年:石原プロ取締役に復帰
著名な家族 渡瀬恒彦(弟)
事務所 石原プロモーション
公式サイト 公式プロフィール
引用:Wikipedia
渡哲也さんに地方出身のイメージは
ありませんが、生まれは島根県(現・安来市)のようです。
父親は日立に勤務していた会社員、
広島県呉市の軍需工場などを転々として、
日立の安来工場に勤務していた時、
地元出身の母親と出会いと結婚しています。
父親は終戦を機に、日立を退職して、
実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)で
洋品店を開業しました。
渡哲也さんが小学校一年生の時でした。
小学校は、地元の淡路島の小学校に通っていますが
中学からは、兵庫県三田(さんだ)市にある
私立の三田学園中学校に高校まで通っています。
(兵庫県三田市南が丘2-13-65)
実家から離れていたこともあり、
6年間寮生活でした。
大学で上京しますが、進学先は青山学院大学経済学部。
空手に励み、空手道部OB会長でもあったようです。
気になる腕前は空手弐段、柔道も初段のようです。
芸能界デビューはこの頃。
日活が浅丘ルリ子主演100本記念映画の
相手役となる新人「ミスターX」を募集。
それを見た空手部の仲間が内緒で応募。
内緒で応募された事実に渡哲也さんは激怒。
しかし、当時渡哲也さんが就職先として
希望していた日本航空の整備士社員の採用試験が
不合格という結果になり、
と言われ、日活撮影所を訪問しています。
石原裕次郎さんは、当時からスターだったんですね。
石原裕次郎さんは、渡哲也さんの7歳年上。
当時22歳頃であったと思われる渡哲也さんから見たら、
既に日活のスターで、7歳年上(当時29歳頃か?)の
石原裕次郎さんは、神々しかったでしょうね。
日活撮影所を訪問したときに、
スカウトを受けて1964年(昭和39年)に日活へ入社しています。
(当時23歳)
このオーデションの応募は、弟の渡瀬恒彦さんも
兄に内緒で応募していたようです。
若い頃の渡哲也さんは、さぞかしイケメンだったと想像出来ます。
引用:http://xn--4gq9qnoy3e95mr7eif2gn39cba4667fklcptdm02bmy4b.com/?p=1318
若い頃の渡哲也さんと吉永小百合さん。
お二人とも美しいですね。
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渡哲也,嫁や子供に看病される?
そんな渡哲也さんは、芸能界デビューしてから、54年。
現在76歳。
石原プロを率いてきた、渡哲也さんが、
現在深刻な病状であると言われています。
真の病状とは?病気とは一体何なのでしょうか?
渡哲也さんの病状が不安視されたのは、
昨年頃から。
昨年9月からマスコミの前には一切
姿を現していない渡哲也さん。
9月には、毎年恒例になっている
宝酒造『松竹梅』のCM撮影をしている渡哲也さん。
毎年、撮影後にスポーツ紙の取材に
対応していたのですが、今年はその取材も無し。
今年の9月にも撮影は予定通り行われ、
撮影場所には訪れたようですが、
酸素吸入器を外せない厳戒態勢だったといいます。
今年7月に営まれた石原裕次郎さんの三十二回忌法要にも
渡哲也さんの姿はなく、石原プロモーション会長の
石原まき子夫人(84)が出席した他、
マスコミ対応したのは同じ石原プロの
舘ひろしさん(68)や神田正輝(67)さんでした。
引用:https://www.daily.co.jp/gossip/2018/07/18/0011455355.shtml
渡哲也さんの病気との戦いはは1991年に始まります。
病名は直腸がん。手術後、人工肛門をつけています。
その後も肺気腫やぜんそくといった呼吸器系の持病
もあり、最近は万全な体調ではなかったようです。
さらに、2015年6月には急性心筋梗塞で倒れ、
緊急手術も経験しています。
引用:女性自身
度重なる病気を経験し、いまは自宅で
療養している渡哲也さん。
最近は、外出することも少なくなったようですが、
仕事も極力セーブして、自宅で
療養に専念しているため、以前より
少し痩せているとも言われています。
たまに外出する際には、車椅子で、
鼻に酸素チューブをつけている状態。
朝丘雪路さんが亡くなった時、
会見した津川雅彦さんが、そのような姿でしたね。

決して体調が良いと思えない中、
毎年恒例のお酒のCMは、予定通り慣行。
そのあたりは、渡哲也さんの
責任感とプロ意識が感じられます。
しかし、そんな渡哲也さんにまた悲しみが
襲います。
実の弟渡瀬恒彦さん(享年72歳)が昨年3月に亡くなったのです。
引用:デイリー
死因は肺気腫。
渡瀬さんも2015年秋に胆のうがんが見つかり療養中でした。
しかし、亡くなった原因は、がんではなく、
肺気腫だったことに渡哲也さんは非常に
ショックを受けていたようです。
渡哲也さんの家族は、元々肺が弱いのか、
渡哲也さんも肺に疾患を抱えており、
がんも患っていました。
また渡哲也さん・渡瀬恒彦さんの母親・雅子さんも
かつて肺炎で亡くなっているのです。
現在渡哲也さんを献身的に看病しているのは、
妻(嫁)と一人息子である子供だそうです。
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若い頃は渡瀬恒彦とイケメン兄弟?
では、渡哲也さんの若い頃画像を振り返ってみましょう。
オーデションに勝手に応募されるくらいですから
とてもイケメンのはず。
引用:https://blogs.yahoo.co.jp/souichiroussugihara/61103540.html
引用:スポニチ
こちらは、吉永小百合さんと初共演の
『愛と死の記録』(1966年(昭和41年))。
この映画で、ブルーリボン賞を獲得しています。
(当時25歳)
引用:http://photozou.jp/photo/show/2836884/179436966
引用:https://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/180419/ent18041921000021-n1.html
吉永小百合さんとは、歌でも共演しています。
2人が過去交際し、結婚前提だったとの噂もあります。
そして弟の渡瀬恒彦さんの若い頃は?
引用:スポニチ
引用:http://www.jprime.jp/articles/-/9307?page=2
渡瀬恒彦さんは、大原麗子さんと結婚しています。
(結婚は5年間だった)
渡哲也さんは、吉永小百合さんと交際歴があり、
弟渡瀬恒彦さんは大原麗子さんと結婚。
昭和を代表する女優にも愛される素敵な
俳優さんであることが分かりますね。
ちなみに、渡瀬恒彦さんは、大学卒業後、
電通PRセンターに就職しましたが、1ヶ月で退職。
先輩が作った「ジャパーク」という広告代理店に転職し
営業職に。その当時、兄・渡哲也の知り合いが
不動産屋を始めて急成長し、宣伝スタッフがいないからと
誘われ休日に手伝いをしていたようです。
そこにたまたま東映の社員が居合わせ、
「俳優にならないか?」とスカウトされたのだとか。
何度も病気を経験しても、元気な姿を見せてくれた
渡哲也さん。
今回も、しっかり療養して、また元気な姿を見たいですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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