さくらももこさんの現在の顔が気になる。。。
人気アニメ「ちびまる子ちゃん」などで知られる、
漫画家のさくらももこさんが今月15日
乳がんのため死去していたことが明らかになりました。
あまり表舞台には出てこない漫画家だった
さくらももこさん。
その顔画像はベールに包まれています。
享年53歳。
日本を超えて、海外にまで
さくらももこさんの訃報は悲しみを深めています。
顔NGのワケがさくらももこさんらしい深い理由だった?
乳がん隠し続けて闘病、声激似のTARAKOさんも
全く知らなかった理由は?
さくらももこ先生、早すぎる死を悼みます。
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目次
さくらももこ,顔現在NGの理由が泣ける
ただいま静岡に来ておりますが、出身地だからか?定かではありませんが、本日のスポニチ、日刊スポーツ、スポーツ報知の1面は、「ちびまる子ちゃん」などでお馴染みの、さくらももこ先生の訃報記事となっておりました。
(他の地域版は、また異なるかもしれないですね) pic.twitter.com/MW8xXAn82y— 壽太郎 (@zyutarou_komcom) 2018年8月27日
引用:Twitter
スポーツ誌主要6誌中、
一面掲載なのは5誌、
裏一面が1誌ということからも
人気の高さが伺えます。
さくらももこさん
乳がんのため53歳で亡くなる。
あまりにも早すぎますよね。
私たちの悲しみが深いのは
・漫画『ちびまる子ちゃん』が
全国的に老若男女に愛されたキャラクターであること
・さくらももこさん本人の
顔画像や経歴がほとんど公になっていないこと
が大きいのではないでしょうか。
さくらももこ先生の描く
小学校3年生の『ちびまる子ちゃん』こと
『さくらももこさん』
に描く静岡県清水市で過ごすほのぼのとした日常
は、あまりにも知られていますが
一方で大人になった『まるちゃん』つまり
現在のさくらももこ先生本人の現在は
あまりにも謎が多く神秘性を持っています。
さくらももこさんは一児の母。
最初の結婚相手は集英社の編集者だった宮永正隆さん。
約9年間の結婚生活中に、長男誕生。
長男は、『さくらめろん』という名前で
さくらももこさんといくつもの共著を出しています。
『さくらめろん』の命名理由は、
メロンが大好きな息子さんだったから。
本名は一部情報では陽一郎さんと言われるようです。
そして38歳のときに再婚。
お相手はイラストレーターの
うんのさしみさん。
仲睦まじい様子が報じられています。
おしどり夫婦だったようですね。

こちらは38歳当時のさくらももこさん。
再婚されたことを報道された当時の顔画像のようです。
長男にも母親がさくらももこであることは長く秘匿していた。
引用:引用:1990年 ちびまる子ちゃん大人気 | 「東京人」観察学会 | 写真と映像で語る:「東京」の社会学 | 後藤範章 研究室(日本大学文理学部社会学科) http://www.n510.com/
本日放送のフジテレビ系『とくダネ』で
笠井信輔アナウンサーがさくらももこさんの秘話を
話していました。
それによると、
ちびまる子ちゃんの実写版ドラマを撮影したとき、
笠井信輔アナウンサーは、
ちびまる子ちゃんの担任の戸川先生役を
演じていました。
現場には、さくらももこさんは
一度も訪れなかったようです。
それは、
『ちびまる子ちゃんは私、さくらももこであるので、
私が現場に訪れることで、演じていただいている
ちびまる子ちゃんと違うなど世界観を壊したくない。』
とのことでした。
演じてもらっていると
役者さんたちに最大の敬意を払い、
口出しなどを一切せずに
自分の作品をあたたかく見守る姿勢を
さくらももこ先生は貫いたのでしょうね。
また笠井信輔アナウンサーは
後日、さくらももこさんに
いただいた感謝を伝えるお手紙も
紹介し、直筆で書かれたその手紙を
涙を堪えて読み上げていました。
『私の宝物です』
さくらももこ先生の人柄が伝わるエピソードですね。
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乳がん発症は7年前?TARAKOも知らず,,,
一部情報によると、さくらももこさんが
乳がんを発症した、もしくは闘病を開始したのは
7年前頃だったようです。
当時、東京新聞に
4コマ漫画を掲載していたのですが、
編集者は、乳がんを患っており
闘病中であることを知らされていたというのです。
推測ですが、
その当時はまだ症状も軽く、
お仕事を普通にこなすことが出来たのではないでしょうか。
漫画だけでなく、エッセイストとしても
活躍していたさくらももこさん。
その独特のフレーズ。
その独特の表現の仕方は
大人になっても『さくらももこ』ワールドに
ひきこまれ、漫画本やエッセイ本を
買い求める多くの人がいます。
私もエッセイ『もものかんづめ』は
購入しました。
精力的に仕事をこなす中で
転移が広がっていたのか、
53歳という若さゆえ、
進行が想像以上に早かったのか。。。
これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。
「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)
作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。
これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。
なお、通夜・告別式は、ご遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われました。
さくらプロダクションスタッフ一同
平成30年8月27日
葬儀や告別式もご本人の意向で
滞りなく近親者のみで済ませた上で、
27日の公表になっていますので
闘病している様子は
ごく一部の関係者にしか知らされていなかったようですね。
ちびまる子ちゃんの声優を
アニメ開始当初から長年にわたって
務めているTARAKOさんも
「早すぎます。まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思いますずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです」
と混乱する様子を伝えています。
TARAKOさんとさくらももこさんの声が
大変似ているということを言われますが
TARAKOさんが、さくらさんに寄せているのではなく
元々のさくらももこさんの声に
TARAKOさんの声が酷似しているということで
TARAKOさんが『まるちゃん』の声優に抜てきされたようです。
TARAKOさんといえばちびまる子ちゃん
ちびまる子ちゃんといえばTARAKOさん
というくらいTARAKOさんの代表作品である
ちびまる子ちゃんですから、
TARAKOさんが
『さくらももこさんは、私の恩人です。』
という言葉は深いですよね。
幸いなことに、アニメ『ちびまる子ちゃん』は
これからも放送を続行するようです。
私は、ちびまる子ちゃんを通じて
さくらももこさんを死をゆっくりと偲びたいと思います。
本日、「さくらももこさん ありがとうの会」が執り行われました。
お好きだったダリア・トルコキキョウなどの花や風船で装飾された祭壇です。さくらももこさんのイラストなどをもとにデザインされています✨#ちびまる子ちゃん #さくらももこ pic.twitter.com/UXrfz4pmnm— ちびまる子ちゃん【公式】 (@tweet_maruko) 2018年11月16日
TARAKOさんの弔辞 pic.twitter.com/jXLoXWU3jA
— ささみ (@sasami0011) 2018年11月16日
漫画家の #さくらももこ さんをしのぶ「ありがとうの会」が青山葬儀所で営まれました。人気アニメ「#ちびまる子ちゃん」の主題歌を手がけた歌手の方々も参列しました。写真特集https://t.co/aJUHDgh32Z を更新しています。 pic.twitter.com/QLCOgtfVWx
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) 2018年11月16日
ゴールデンボンバー
#さくらももこ pic.twitter.com/6dkm2SEL1e— ほの吉 (@rintanmama3402m) 2018年11月16日
引用:Twitter
さくらももこさんのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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