【まんが日本昔話の語り手、常田富士男さん死去!】
日本昔話の語り手、
常田富士男(ときた・ふじお)さんが亡くなりました。
死因は脳内出血。
数か月前から入院していたようです。
享年81歳。
常田富士男さんの若い頃からの画像や、
息子で俳優の倉崎青児(くらさき・せいじ)さん
生い立ちや家族について調べてみました。
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目次
常田富士男,息子は俳優倉崎青児!
むか~し、むか~し。
常田富士男さんの語り口は、大人になった今でも
思い出されるほど、
子供の頃、一番耳にして、心に残った
一番好きな声優さんだったかもしれません。
俳優・常田富士男さん死去 「まんが日本昔ばなし」 | 2018/7/19 – 熊本日日新聞 https://t.co/vt3sTqyMFS
子供の頃から一番耳に残ってる声かもしれない。いつか今日も昔話になるのかな。お悔やみを申し上げます。— Jam☆7/7書籍発売 (@jam_filter) 2018年7月18日
享年81。#哀悼
▼俳優・常田富士男さん死去 「まんが日本昔ばなし」https://t.co/rElDfKcurt
【参考資料】
▼たべものを大切に
声の出演:#市原悦子 #常田富士男
📹 © 1982 公共広告機構(現・公益社団法人ACジャパン) pic.twitter.com/E20NIGidgP— Ken Sugar🌏 (@ken_sugar) 2018年7月18日
引用:Twitter
まずは、常田 富士男さんの経歴を見ていきましょう。
生年月日:1937年1月30日
没年月日:2018年7月18日
享年: 81歳
出生地: 長野県下高井郡上木島村(現・木島平村)
死没地: 東京都
職業: 俳優・声優
ジャンル:テレビドラマ・映画・舞台・アニメ
活動期間:1960年代 – 2018年
活動内容:1969年 劇団青年劇場結成
配偶者: あり
著名な家族:倉崎青児(息子)
主な作品:
≪テレビドラマ≫
『バス通り裏』
『源義経』
『高原へいらっしゃい』
バラエティー番組など
『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』
アテレコ
『まんが日本昔ばなし』
引用:Wikipedia
子供の頃ご近所さんでした。
当時、ゲバゲバ90分に出演されており子ども達に大人気。
※親からは観るなど言われていた番組でした^_^市長選挙に出た時はびっくりしたなぁ。
日本昔ばなしを観る度に遊んでもらったことを思い出します。
心からご冥福をお祈りいたします。https://t.co/TlW07sCXkq
— 衆議院議員 長尾たかし (@takashinagao) 2018年7月19日
引用:Twitter
常田富士男(ときた・ふじお)さんといえば、
何と言っても「まんが日本昔ばなし」(TBS系)ですが、
「まんが日本昔ばなし」の語り手 俳優の常田富士男さんが死去https://t.co/Tp9IAyaUbM
TVアニメ「まんが日本昔ばなし」の語り手などで知られる俳優の常田富士男(ときたふじお)さんが18日、病気のため死去したことを熊本日日新聞が報じた。81歳だった。 pic.twitter.com/mb4ZaScSRp
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) 2018年7月19日
引用:Twitter
1975年に始まった『まんが日本昔ばなし』は、
すべての登場人物の声を市原悦子さんと2人のみで
長年演じ続けて親しまれてきました。
1994年に番組は放送終了しましたが、
19年間続いた長寿番組。
放映終了後から復活を望む声が多く、
2005年にはゴールデンタイムで再放送されたことは
私の記憶にも新しいです。
常田富士男さんには、有名な息子さんがいます。
お名前は倉崎青児(くらさき・せいじ)さんで
俳優さんです。
引用:タレント図鑑
どこかで見たことありますよね?
そしてなかなかのイケメン。
現在58歳の倉崎青二さん。
もっとあぶない刑事 第25話「一気」(1989年、NTV / セントラル・アーツ) – 梶原仁
火曜サスペンス劇場「弁護士・朝日岳之助 (6)」(1995年1月10日、NTV / 国際放映) – 速水行夫 役
火曜サスペンス劇場「弁護士・朝日岳之助 (10)」(1997年7月8日、NTV / 国際放映) – 小原信男 役
火曜サスペンス劇場「指名手配1」(1998年、NTV / オセロット) – 宮原
月曜ミステリー劇場「弁護士猪狩文助1・時の剣」(2001年、TBS / 国際放映) – 永井和己
引用:Wikipedia
『火サス』を中心に様々な役柄を演じている名俳優さんです。
お父様の常田富士男さんが、本名でご活躍されているので、
おそらく「常田(ときた)」がご本名だと思いますが、
父親の偉大な七光りを受けず頑張る意味で
お名前を芸名にしているのでしょうね。
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常田富士男の生い立ちや家族が凄かった!
常田富士男さんの出生地は、
長野県下高井郡上木島村(現・木島平村)ですが、
実の父親が定職を持たなかったため、
父親とともに東京・浅草、横浜、静岡、九州を転々としたようです。
母親やその他兄弟などについての情報がないため、
父子家庭だった可能性も考えられますね。
小学3年生の時より
熊本県阿蘇郡南小国町(あそぐん・みなみおぐにまち)に定住。
中学を卒業すると親元を離れ、
熊本県立済々黌(せいせいこう)高等学校定時制に通学したようです。
熊本県立済々黌高等学校は
偏差値71の進学校。
熊本高校に次ぎ、熊本県下第二位の高い偏差値の学校のようです。
同校出身者には、姜尚中さん(政治学者)や
上田晋也さん(お笑い芸人(くりぃむしちゅー))や
財津一郎さん(俳優)など多数の有名人がいるようです。
済々黌(せいせいこう)高等学校HP⇒リンク
高校卒業後、上京して劇団民藝養成所へ入所。
俳優として、
黒澤明監督作品『天国と地獄』(1963年)と
『赤ひげ』(1965年)に出演するなど活躍。
養成所を出た後は、劇団員にならず、
1969年に米倉斉加年らと劇団青年劇場を結成し、
ここから、俳優だけでなく声優の仕事も積極的に
行っているようです。
「野良猫ロック 暴走集団71」より、常田富士男さん。むかし話のイメージがあったせいか、勝手に仙人的な存在と思っていました… 御冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/ZJMKhzOhQm
— keichiba (@keitiba) 2018年7月19日
引用:Twitter
また、意外だったのですが、
政治家を志したこともありました。
1977年、「まごころの政治」を掲げて
保谷市長選に立候補し、中村敦夫さんらの応援を受けるが落選。
同じころより、まんが日本昔ばなしの
声優を長期に渡り務め、
番組が1994年に終了しても、映画に出演するなど
亡くなる直前まで精力的に活動されていたようです。
ご家族については、息子さんの倉崎青児にしか
詳しい情報を得ることが出来ませんが、
配偶者はありとなっているので、
奥様はご健在で一般人だと思われます。
常田富士男さんは、関係者によると、
亡くなる数か月前から脳出血で入院療養していたとのことです。
私だけでなく、常田富士男さんの声の
まんが日本昔ばなしを聞きたい多くの聴衆はいると思います。
盟友、市川悦子さんも現在、病気療養中のようなので
追悼記念ということで、お二人の声、
特に常田富士男さんの声の日本昔ばなしの
再放送を期待します。
常田富士男さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
常田富士男さん。
桂歌丸さんと同じく、自分が物心ついた時からおじいちゃんの印象だったが、「まんが日本昔ばなし」を始めた頃はまだ30代、「天空の城ラピュタ」でポムじいさんを演じた時は40代だったと知って感嘆する。
「むか~し、むかしのことじゃった…」の語りは今でも耳に残る。
安らかに。
— ひるさいど ひよし (@hillsidehiyoshi) 2018年7月18日
え、常田富士男さんお亡くなりになったのか…https://t.co/HzYycjG0jD
まんが日本昔ばなしもだけど、天空の城ラピュタのポムじいさんは、神秘的な光景とともに印象深く残ってるなあ。合掌。 pic.twitter.com/RNNMqxSWHM— ヤンソンさんの誘惑@グラたん (@Jansson636) 2018年7月18日
常田富士男さん、ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/CZx32wALFi
— フリフリ (@furifuri66) 2018年7月19日
引用:Twitter
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