本日の「爆報!THE フライデー」で野村克也元監督が紹介されます。
今年初めの衝撃の愛妻、野村沙知代夫人との別れ
実はあまり知られていませんが、野村沙知代さんと結婚したことにより、野村克也さんは
実家の母親で実兄と疎遠になり、40年もの間、絶縁状態が続いていたといいます。
現在82歳の野村克也さんが3歳上の兄嘉明さんとの40年ぶりに会うことを決心しました。
母の墓前に「私が殺したようなもの」と放った言葉の真意?
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目次
幼少期は極貧だった野村克也さん
引用:Wikipedia
【野村克也プロフィール】
出身地 京都府京丹後市
生年月日 1935年6月29日(82歳)
身長体重 175 cm 85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1954年
初出場 1954年6月17日
最終出場 1980年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
京都府立峰山高等学校
南海ホークス (1954 – 1977)
ロッテオリオンズ (1978)
西武ライオンズ (1979 – 1980)
監督・コーチ歴
南海ホークス (1968 – 1977)
ヤクルトスワローズ (1990 – 1998)
阪神タイガース (1999 – 2001)
シダックス
東北楽天ゴールデンイーグルス (2006 – 2009)
引用:Wikipedia
野村克也さんは、1935年生まれの82歳。
監督のイメージが強いですが、
プロ野球選手でした。
幼少時代は、父親を早くに亡くし、母子家庭で育ちました。
戦時、戦後を生きてきた野村家ですが、
決して裕福だと言える環境ではなく、
更に母親は病弱だったといいます。
野村克也さんはスポーツは万能で
インドア、アウトドアどんなスポーツでもこなしたといいます。
京都は寒い冬が寒く長いため、
野球などの外でのスポーツよりバレーボールなどの
室内でのスポーツが盛んだったようです。
小学校の野球チームに入った野村克也少年ですが、
バッドやユニホームを揃えることが出来ずに
当時の集合写真では、一人だけユニホームを着ずに
私服で写真に収まっていたようです。
野球用品は借りることはできても、ユニホームは調達できなかったのですね。
更にスポーツ万能な反面、勉強は大の苦手だったという
野村克也少年に、
極貧状態だった母は、家庭の経済状態を考えて、
中学を卒業したら、進学せずに就職し、
家計を助けて欲しいと懇願しました。
一方、当の野村克也少年は、
野球で大成し、プロ野球選手として活躍することで、
一攫千金を目指し、
母を楽させてあげたいと願っていました。
母と野村克也少年の間に入ったのは、
克也少年の3歳年上の兄、嘉明さんは、
野村克也少年と違い、勉強がとても得意だったという兄。
大学進学を母も本人も希望していたといいますが、
兄嘉明さんは大学進学を断念。
代わりに弟に高校進学をさせてほしいと懇願したといいます。
理由は、男は高校くらい卒業しないと就職先も見つからないと
克也少年の将来を心配したといいます。
勉強が苦手だった克也少年とその将来のことを考えて、
工業高校に進むようにアドバイスしました。
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野村克也,実兄,母との40年の確執は沙知代が原因
愛妻家として知られる野村克也さんですが、
実は沙知代と出会ったときは、
野村克也さんには婚姻関係にある一般女性の妻がいました。
沙知代さんにも家庭があり、
いわゆるW不倫関係。
世間は大バッシングで二人を猛攻撃しましたが、
野村克也さんは、
動じることなく
「真実を知らないものは好きに言わせたらええ」
と我関せずでした。
しかし、このことで厳格で真面目だった兄とは疎遠、絶縁状態になるのでした。
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母は「私が殺したようなもの」の意味は?再会を果たした兄弟は?
生まれ故郷の京丹後市で隠居生活をしている
兄嘉明さんは、40年ぶりに会う弟克也さんとの再会を楽しみにしていました。
プロ野球選手として、また名監督として
全国を飛び回っていた野村克也さんでしたが、
多忙のため、母の死(64歳没)後も、京丹後市を
訪れることはなかったようです。
実に40年ぶりの墓参りを
兄と二人で行うことができたのです。
野村克也さんと兄嘉明さんとの間には、40年間の確執がありましたが、
お互いに誤解もあったようです。
当時の野村克也さんは、
沙知代さんと恋愛関係にあった当時、
「最初の妻を捨てた」と言われていましたが、
実際は、妻の方に「出ていけ」と言われ
家を出たようです。
(ベルサーチの服を愛用、愛車はリンカーンなど浪費が酷かったことが原因?)
また兄は、当初こそは沙知代さんとの不倫関係に激怒し、
克也さんの事を許さないという考えでしたが、
テレビで見る二人の仲睦まじい様子や、
沙知代さんの内助の功ともいえる野村克也さんの活躍ぶりを
テレビで目にするたび、
「私が間違っていたのかも」と思うようになったと言います。
結局、生前の沙知代さんとは会う機会がなかった兄嘉明さんですが
沙知代さんが亡くなる前に(2017年12月逝去)亡くなる前に
会ってお礼が言いたかったといいます。
こに言葉に野村克也さんは涙を浮かべて
「天国で喜んでいると思うよ」
と言うのでした。
野村沙知代さんが原因で、兄弟は疎遠。絶縁してしまいますが、
40年経って再会したのもまた野村沙知代さんがきっかけでした。
野村兄弟は兄85歳、弟82歳ですが
これも二人が長生きしていたからこそ実現できた再会です。
野村沙知代さんの逝去後、
やもめ生活が続き、元気をなくしていると伝えられる
野村克也さんですが、
兄と出会えたことで、
これまでのわだかまりを解消でき、
35歳で亡くなった父要市さんと母ふみさんの墓参りも兄弟でできたことで
少し元気になったのではないでしょうか。
野村節をまだまだ聞きたいですので、
ぜひこれからもお元気な姿を私たちに見せて欲しいですね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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