尾畠春夫,wiki風プロフィール! プロフェッショナルが藤本理稀くんに渡した飴玉はコレ!


一番元気な78歳!プロフェッショナルボランティアがwikiプロフィールに登録された!

尾畠春夫(おばた・はるお)さんは、
いま日本で一番有名な78歳なのではないでしょうか。

藤本理稀(ふじもと・よしき)ちゃん(2)を助けた
プロフェッショナルとして一躍時の人になりました。

しかし、尾畠春夫さんのプロフィールを
紐解いてみると、感謝感謝感謝の人生なのです。

ボランティアにいつでも行けるように
体力づくりに挑み、人との出会いに感謝し
同じボランティア仲間に『師匠』と呼ばれる
尾畠春夫さんは一体どんな人なのでしょうか。

藤本理稀(ふじもと・よしき)ちゃんを
無事救出した後も、時を置かずして
広島に出向くバイタリティを持つスーパーマン。

妻や子供はどんな人なのでしょうか?

藤本理稀ちゃんが行方不明になって
68時間ぶりに口にした飴玉の銘柄は何?

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尾畠春夫さん,wiki風プロフィール!


引用:Twitter

日本国中で、一番有名で尊敬される存在の78歳。
それは尾畠春夫(おばた・はるお)さんではないでしょうか。

尾畠春夫の経歴/プロフィールを紐解いてみると
その優しさの根本と
ボランティアを始めたきっかけが
見えてきます。

尾畠春夫(おばた・はるお)さん経歴/プロフィール
名前:尾畠春夫(おばた・はるお)さん
年齢:78歳
住所:大分県日出町(ひじまち)
兄弟:7人兄弟の4番目
家族:妻、子供、孫
職業:ベテランボランティア
前職:鮮魚店『魚春(うおはる)』
(大分県別府(べっぷ)市鮮魚店経営。29~65歳時まで)
引退後:2006年の4月1日~7月1日
    鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで
    日本列島を徒歩で横断する旅に
    (全行程3250キロを歩いて完走)

【ボランティア経歴】
50代頃から日常的に大分県由布岳(ゆふだけ)の登山道の整備を始める
(月に7~8回、30~40キロの材料を担いで登り
、崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置など)

2004年(64歳)新潟県中越地震
2011年(71歳)東日本大震災
2014年(74歳)広島土砂災害
2015年(75歳)関東・東北豪雨
2016年(76歳)大分で行方不明になった2歳女児の
    捜索
に参加⇒無事保護
       熊本地震
2017年(77歳)九州北部豪雨
2018年(78歳)西日本豪雨

【登山経験】
40歳 登山をはじめる
58歳 北アルプス55山を単独縦走

7人兄弟の4番目として生まれた
尾畠春夫さん。

兄弟の仲で一番食欲旺盛だったと言います。
子沢山だったこともあり
決して裕福ではなかったらしい尾畠家。

両親は、一番食べる春夫少年を
小学校5年生の時に農家に奉公に出したようです。

生まれ育った家族、両親や兄弟と
離れて過ごす寂しい生活。

『飯を食べさせてください』
『仕事をさせてください』

ご飯のお代わりも言えない
肩身が狭くひもじい思いをしてきた春夫少年は、
その窮屈感は並大抵ではなかったといいますが

焼き芋を焼いた時に、藁が一杯ついた
芋であれば(食べにくいため)
『どうぞ』
と言って与えてくれた優しさに
感謝の気持ちを持ったと言います。

中学には進学しますが、
学校より、仕事優先。
まともに中学校には通えなかったようです。

農家で奉公した後は、
鮮魚店で働いた時期もあるようです。

いつかは独立したいという思いがあったのでしょう。
29歳の時に念願の店を
大分県別府(べっぷ)市に持ちます。

店名は魚春(うおはる)
どの店よりも利益度外視で魚を
安く提供し、繁盛店に。

『自分たちが生活できればいいから』

あくまでも尾畠春夫さんは謙虚なんです。

正月前の大晦日あたりは、
お刺身の注文を求めて
数十件のオーダーを文句一つ言わずに
忙しそうに働いていたようです。

転機は40歳の頃、趣味として始めた
登山にはまり
いつしか山に登るだけでは物足りず
登らせてくれる山に感謝することに開眼。
標識を修復したり、登山道を整備したり
山の手入れをしながら登山をすし感謝する
ライフスタイルになったようです。

標識に使われたのは、
鮮魚店『魚春』で使っていた
『魚箱』だったようですよ。

登山を通じて得たボランティア精神。

いつしかこれまでの生い立ちや
鮮魚店のお客さんに抱いていた
感謝の気持ちを
恩返ししたいという気持ちが膨らみ
65歳で店を畳む決断をしたようです。

定年は一般的には60歳ですが
尾畠春夫さんは
『私は、学歴がないので人より5年多く
働こうと思った』

と笑顔で話していました。

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65歳で鮮魚店『魚春』を引退してから

65歳で鮮魚店『魚春』を畳み、
念願だった徒歩で全国縦断を開始。
3,300キロを4ヶ月足らずで完歩したようです。

テントグッズをリュックで背負い
足の痛みと空腹と闘う日々。

全国各地で人々の優しさに触れたといいます。

海岸でテントを張っていた時に
初対面の人に
『昨日孫の誕生日で食べきれなかったおこわが
あるから、食べて』

と言われ、たくさんのおったかいおいしい
おこわを御馳走になったといいます。

その場所が、宮城県、南三陸町。
2011年東日本大震災が起きたとき
心配になって、お世話になったお家に
電話を何十回とかけたようです。

何度かけ直しても繋がらない。

そんな状態に業を煮やして
現地に出向いたのです。

幸いにもそのご家族は無事だったようですが
これが地元登山(由布岳ゆふだけ)
以外の被災地で初めて携わったボランティアだったようです。

東北の被災地での活動は延べ500日にもなりました。

2016年熊本地震
2017年九州北部豪雨
2018年西日本豪雨

など近年だけでも、これだけの
災害があり、被災地に駆け付けました。

いつしかボランティア仲間には
『師匠』と呼ばれるようになりました。

尾畠春夫さんの生き方はは『恩を返す』
がモットー。
『世の中に生かされている』
『体力、能力の限界まで世間にお返しする。
それが人としての仁義』

現在の尾畠春夫さんの近況は、
本の出版を持ちかけられていることと

Wikipediaに自分のページが出来たということだそうです。

尾畠春夫さんのご家族については
詳細は語られていませんが、
妻と子供、孫がいるようです。

藤本理稀くんが発見される前に
メディアに語っていたことは
『自分にも同じ年くらいの孫がいる』
と仰っていたので
まだ小さなお孫さんがいるおじいちゃんなのですね。

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プロフェッショナルスーパーボランティアが常備した飴玉の銘柄はコレ!

尾畠春夫さんが藤本理稀ちゃんに
与えた飴玉は何なのか?

2歳児に飴玉はいいのか?

そんなことがネットで論争になっているようですが
与えたのは飴玉ではなく塩飴タブレット「匠の塩飴」 

だそうです。


引用:Twitter

ラムネのようなもので、
『理稀(よしき)ちゃん、ガリガリ噛んだ』
と尾畠春夫さんは表現されていましたが
ラムネであればこのような音がするのは
自然な食べ方ですよね。

塩味がついているということなので、
おそらく尾畠春夫さんが被災地で
熱中症予防のために常備していた
必需品の一つだったのかもしれません。

尾畠春夫さんの被災地での
ボランティア活動はまだ続くようです。

現在は広島。

その資金は、年金から捻出しているとのこと。

いま一番日本で有名な78歳。

プロフェッショナルボランティア。

尾畠春夫さんの勇気ある行動を
見習っていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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